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1999年12月号 掲載
自閉症の理解のために
-3冊の本- 
奥平 俊六 丹波自閉症療育研究会会長・大阪大学文学部大学院文学研究科教授

◆オリヴァー・サックス『火星の人類学者』
「レナードの朝」の原作者オリヴァー・サックスは、『火星の人類学者』の中で2人の高機能の自閉症者について書いている。サックスは、優れた脳神経科医であると同時に脳障害者の見ている世界を丁寧な取材によって私たちに知らせてくれる、類まれなライターでもある。
 1人目のスティーブン・ウィルトシャーは、チラッと見ただけで風景の細部まで再現できるサバン(特殊能力者)。すでに何冊も画集を出している英国の少年だが、自閉症者には視覚的な能力に秀でた人が多い。アメリカで大学の先生をしながら牧場施設関連の会社を経営しているテンプル・グランディンは、設計図を見ると自然に建物や設備が脳裏に立ち上がるが、「幸福」と言われても何もイメージできないと言う。抽象的な言葉は具体物に置き換えないと理解できないのだ。
 彼女は、暗黙の了解がまったく理解できないともいう。私たちの社会的コミュニケーションの多くは、暗黙の了解によって成り立っている。それをとても不思議だという。人と関わる場面では、頭の中に何千枚という絵カードを作って、会話するときにそれをすばやく繰っているのだという。『火星の人類学者』という表題は、グランディンが「人間を見ていると私は火星からやってきた人類学者の気分になる」というところから付けられてる。
 自閉症の人々はきわめて具体的な世界に生きている。そして視覚的に考える。それは私たちの文化と違うもう1つの文化だと考えた方がわかりやすい。そこに自閉症の人々と関わっていくヒントがある。

早川書房 2,500円
自閉症の人々はダウン症の人々と同様に世界中でほぼ同じ率で生まれてくる。1000人に1人といわれていたが、神奈川や愛知の疫学的な調査では約500人に1人という報告があり、最新の英国の統計では1万人に91人という自閉症圏障害の数値が示されている。
 障害者を理解し支援していくには、多かれ少なかれ異文化交流という発想が必要だと思う。たとえば視覚障害者には、特有の感覚の使い方があり、コミュニケーションの方法がある。それを追体験するために私たちは目隠しをして歩いてみたりする。体験してみて初めてわかる異文化。しかし、自閉症などの脳機能の障害の場合、追体験が難しい。それを補うのは想像力以外にない。
◆寺村千代子監修『風の散歩』
スケッチブック1冊がすべて電線の絵。めくると連続している。たわんだところも変圧器の碍子も精密に描かれている。奇をてらっているわけではない。彼は電線の規則的な美しさに魅せられて描かずにはいられないのだ。
 父親と競馬場に行った少年はたくさんの観衆を見て「何人いるの」と尋ねたら「入場者は3,500人」という答えが返ってきた。家に帰ってスタジアムの絵を描いた。観客席には当然、ちょうど3,500人の人々の顔が描かれている。

コレール社 4,000円
『風の散歩』は、自閉症の子どもたちの絵画を集めた本である。自閉症はネーミングのせいでよく誤解されるが、自ら心を閉じる病気ではない。育て方や環境によって生じる心の状態でもない。脳の中枢神経系の生得的な障害である。
 ページをめくると、抽象絵画のような絵もある。クレヨンの荒い線と粉末絵の具の滲み撥ねる色彩の饗宴。この場合、画材というモノの中にすっぽりと画家がいる。
 私たちの感性は日常の中ですり減っていかざるをえないが、言葉などという社会性の足かせの影響を受けにくい彼らの造形は、どこまでも新鮮で豊かだ。
◆チャールズ・ハート 『見えない病』
 現在、欧米では自閉症が誤解されることはほとんどない。「自閉症を知ろう週間」などを通じ、科学的な根拠に基づく広報が行われて、教育現場は当然だが、一般社会でも正しく認識されている。ダスティン・ホフマン主演の「レインマン」、ブルース・ウィリス主演の「マーキュリー・ライジング」など映画の果たした役割も大きい。日本でも今年山田洋次監督の「学校III」が公開され、自閉症に関する認識はやや広まってきたと思うが、まだまだ誤解されることも多い。

晶文社 2,900円
 現在、欧米では自閉症が誤解されることはほとんどない。「自閉症を知ろう週間」などを通じ、科学的な根拠に基づく広報が行われて、教育現場は当然だが、一般社会でも正しく認識されている。ダスティン・ホフマン主演の「レインマン」、ブルース・ウィリス主演の「マーキュリー・ライジング」など映画の果たした役割も大きい。日本でも今年山田洋次監督の「学校III」が公開され、自閉症に関する認識はやや広まってきたと思うが、まだまだ誤解されることも多い。
 この状況は1970年代のアメリカに近い。チャールズ・ハート『見えない病』は、その頃の、自閉症の兄と息子を持った苦闘の記録。著者は現在の全米自閉症協会の副会長。読み物としても優れた出来映えであり、一気に読める。
 最近、テンプル・グランディンをはじめとして高機能の自閉症者の書いた自伝が出版され、彼らが主として視覚的な手がかりで思考していることがわかってきた。だから、言葉以上に視覚的な伝え方による援助が有効であり、ノース・カロライナのTEACCHプログラムなどは顕著な成果をあげている。絵カードやスケジュールをつかって見通しを立てやすくしてあげることなどは、そうした特性にそった工夫である。こうした情報はインターネットでもすぐに取り出せるようになった。
 自閉症の人々は、本来生真面目で律義であり、彼らが安定して生活できる社会は、私たちにとっても居心地のよい社会である。21世紀には、自閉症も含めて障害者が安定した生活を営めるかどうかが、地域の文化の質をはかる尺度にもなると思う。