過去の連載記事
同じ年の連載記事

2000年07月号 掲載
特集 「エイズ・デイズ
第1回 企業とエイズ
産経新聞 編集局局次長 宮田 一雄氏に聞く

98年10月にマニラで開かれた 第4回アジア太平洋エイズ会議に出席する宮田一雄さん。

プロフィール/1949年東京生まれ。73年より産経新聞記者。
89年から 90年にかけて約1年半をボストンに暮らし、ハーバード大学の公衆衛生学科のエイズに関する講義を聴講 、麻薬常習地帯で注射針を洗う漂白剤やコンドームを配るボランティアをしながらHIV感染者の 支援と予防の現場を取材した。93年3月から96年8月までニューヨーク支局長。社会部デスクなど を経て編集局企画担当部長。十数年にわたって日米のエイズ対策を取材し、ニューヨークでは、 日本人のエイズ対策グループJAWSを創設。著書に『ピープル・ウィズエイズ』(太郎次郎社) 『20世紀特派員』(編著産経新聞社)などがある。
 日本でも、HIVの感染は社会の関心の移ろいとはかかわりなく、ゆっくりと確実に広がっています。先進国で唯一患者が増加を続けている国が日本なのです。
 これまでに、地球上で千数百万に上る人々がエイズで命を落としたといわれています。エイズを「地球規模でゆるやかに進行する危機、危機に気づかない危機」としてとらえ、HIV感染者やその支援者たちを十数年にわたって取材し、報道し続けてきたジャーナリストの宮田一雄さんが、最近『エイズ・デイズ』を上梓しました。宮田さんに、すぐそこに来た「エイズ・デイス」について聞きました。本号と次号と2回に分けて掲載します。
静かにゆっくりと拡大する危機

―― 最近、テレビや新聞で話題になることも少ないし、田舎に住んでいるとエイズは遠い病気のがします。

 たしかに、発表されている統計に限っては感染者の八割近くが関東甲信越、それも首都圏に集中しているから、エイズは今のところ「東京の病気」と言えなくもないですね。マスコミもニュース性のあること以外は関心を示さない傾向があるから、ふだんの生活でエイズを危機としてとらえにくいというのはわかる気もします。
 でも、先進国で唯一患者が増加を続けている国が日本です。
 HIV感染は確実に広がっていると見ておく必要があります。
 昨年一年間で東京都立駒込病院に新たに入通院を始めたHIV陽性者が百十六人。昭和六十年にエイズ診療を開始して初めて新患が年間百人の大台を超え、感染症科で治療に当たっている現場は大きなショックを受けています。しかも新患のほぼ四割の人はエイズを発症してから病院に来て、初めてそこでHIVに感染していることが判ったというケースでした。一般にHIVに感染してエイズの発症まで平均十年の潜伏期間があるとされていますから、自分の感染に気づかずに暮らしている人は少なくないということになります。感染者数の推計はもちろん無意味ではないですが、限られた範囲の正確さしか持ってないから、今もHIV感染が地球規模で広がり、多くの人の命を奪っていること、決して国や地域に例外はないという事実にかわりはないわけです。なかには、中国のようにドラマチックな拡大が予想される地域もあります。

「エイズとの長い持久戦が始まったばかり」 ―支援と予防

―― 私は「エイズ撲滅」と口走って、宮田さんに「撲滅はだめだよ」って 言われました。景気がいいだけじゃなくて実際に効果のある息の長い支援と予防の活動が大切ということですね。

 冷戦後の時代は、誰が敵で誰が味方なのかがわかりにくい時代。エイズ対策も安易に敵と味方、善と悪を分けるような思考法に飛びつかないことです。エイズの流行によって人類が滅びることは実はありません。でも、放っておけば、HIVが人間の体の中で共存して生きていけるようになるまでには途方もない年月がかかって、その間に、どれほど多くの人がエイズに倒れて亡くなっていくのか想像もつきません。そのような悲しくつらい体験を少しでも減らし、HIVに感染している人が長く社会生活を続けていけるようにすること、そしてそのための努力を通してHIV感染の予防にも成果をあげることが、現時点でのエイズ対策、エイズ研究の最も現実的な戦略であると思います。エイズ撲滅という威勢はいいけれど、現実味のない、そして時にはHIVに感染している人たちを深く傷つけてしまうようなスローガンを叫びたてることはかえってマイナスだと思います。

―― 私たちも出来る具体的な支援について

 はでな、その場だけのキャンペーンじゃなくて、それよりも少数の熱心な活動を続けている人たちや民間のNGO(非政府組織)の活動を応援する方が現実的だし、誰にでもとりつきやすいと思います。
 最近、木村久美子さんという女性が軽井沢に「ポジティブ・カフェ・ノーチェ」という喫茶店を開きました。ポジティブという言葉にはHIVのポジティブ(陽性)という意味もありますが、前向きにとか肯定的にとか言う意味もあります。HIVポジティブの人もそうでない人もともに一杯のコーヒーで気軽に楽しめる空間をつくり、そこでHIVについての情報を継続的に発信しようというのです。ひとつの場所でエイズ情報を継続的に発信するためには喫茶店の形がいいだろうということです。ポジティブ・カフェ・ストリートというホームページがありますから見てください。

―― ジャーナリストとしての取組みについて少し。

 支援活動の場合と同じく、HIV感染者の支援と予防のために熱心な活動を続けている少数の人たちや民間のNGO(非政府組織)の活動を報道し、勇気づけて応援することがたいせつだと考えています。新聞記者は、新しいニュースを追うのが仕事ですが、エイズのように長い時間をかけてひとつの問題を追うこともたいせつな役目です。エイズと付き合うためにはいろいろ工夫をしています。今は「エイズと社会」という不定期連載をしているから読んでください。(ポジティブ・カフェ・ストリートのホームページにも過去の掲載分をリンクさせています)

―― HIV感染者に対する支援や予防は、だれもが、自分の場所で、当たり前に出来るペースではじめるということでしょうか。でも、決して放っておいてはいけないわけですね。

 日本人は、エイズに対する反応はやさしいというかあたたかみがあります。エイズについてはっきりとしたことがわかってなかったレーガン政権下、八十年代のアメリカでは、血友病患者が家を焼き討ちされたり、街頭で暴力を振るわれたりしたこともありました。日本では、患者に対しては、表面は、同情的でそんな悪意に満ちた行動はありません。当然と言えば当然ですが、そのぶん、エイズに対する関心が低く問題が表に出ないという面もあります。
 HIVに感染した人たちでさえいつもそのことばかり考えているわけではない。「みんなが考えなければいけない」だとか、「正しい知識を身につけましょう」だとかいうお題目が出てきて「他人事じゃないよ」ってくると「どうもうさんくさいなって」感じになります。そもそも、他人事じゃないって言うのが、あんたも感染するかもしれないよっていうメッセージだとすると「感染しない方法」だけ知ればもういいやってことになりますから。
 支援と予防はそれくらいのことは認識した上で、自然な形で辛抱強くやった方がいいと思います。エイズとの闘いは長い持久戦がようやく始まったという段階です。でも、感染が広がらないうちの支援と予防こそ効果があるということも、忘れてほしくありません。
(つづく)
インタビュー・文責/編集人
※ 次回は「企業のエイズ対策」についてお聞きします


『エイズ・デイズ』
2000年5月23日発行 平凡社新書
定価 本体680円(税別)

 いま、エイズという病気とともに生きる時代がすぐそこに来ている。本書は、HIV感染の現状と、  エイズという病気と闘う人々の支援と予防に取組む人々の姿を生き生きと伝えている。  
 気鋭の新聞記者宮田一雄さんが書いた本であるが、決して声高にもジャーナリスティック  にも危機を語ってはいない。語り口はあくまでおだやかで、人間的、そして健やかな現実感覚にあふれている。  幾分のユーモアさえも漂う。ぜひ、御一読を。