2012年02月 掲載
繊維の町の歴史が醸し出す倉敷・児島(岡山県)の魅力
 
 岩田三代(日本経済新聞論説委員兼編集委員)

下津井軽便鉄道駅跡


- 下津井軽便鉄道廃線址阿津駅付近の赤穂の井戸 -
断絶後移り住んだ赤穂浪士の生活を支えたという


- ベティ・スミスのアウト・レット -


- ヴィンテージ・ジーンズのグラフゼロ -
。ジーンズを愛する若者が心を込めて縫製する。綿からこだわり、生地のデザインもオリジナル。値段も手ごろで、フルオーダーも受けつけてくれる。
3月末に倉敷美観地区に近い本町に蔵を改造した2号店がオープンする。(TEL:086-474-4120)

- リョウザンミシンのコレクション -


- 藍染めの高城染工場では、藍染め体験ができる。 -

「児島は日本のジーンズ発祥の地なんですよ」。倉敷に勤める友人に教えられるまで全く知らなかった。愛媛県に生まれ育ち、大学卒業とともに東京に出た私にとって、岡山は通り過ぎる土地だった。宇高連絡船があったころは岡山駅で在来線に乗り換え茶屋町などを経由して宇野へ。瀬戸大橋が開通してからは児島を通り坂出へ。倉敷にも児島にもあまり足を踏み入れる機会はなかった。岡山駅で買い込む「祭りずし」やキビ団子、ちょっと高くて手がでない美しい緑のマスカットなどが、私にとっての岡山だった。
 国産ジーンズのふるさと。新しく手に入れた情報に引かれて、日本経済新聞の夕刊の旅関連記事を書くことを思い立った。取材のため児島を訪れたのは2011年の秋だ。案内はくだんの友人がかって出てくれた。事前にインターネットで下調べをし、児島商工会議所などが中心になってジーンズストリートをつくっていることなどは知っていたが、やはり行ってみなければわからないことは多い。駅前で自転車を借りてあちこちを見て歩いたが、江戸時代から続く繊維の街の多様な顔に少々圧倒された。
 児島は江戸時代から干拓地を利用した綿花の産地として知られ、1700年代末から農家の副業として賃機が盛んだった。古くは真田ひもや袴地、足袋の底になる丈夫な生地などを織っていた。明治に入ると帆布などのキャンパス地、学生服に発展する。(そういえば岡山は学生服の一大産地というのを学生時代に習ったのを思い出した)。こうした長い歴史のうえに国産ジーンズが花開いた――。
 これは今回の取材で学んだ知識だが、知る人はそれほど多くないだろう。私もその一人だった。大学時代からもちろんジーパンははいていたが、それほど凝るタイプでもない。「ビッグジョン」や「ベティスミス」が日本製ということすら知らなかった。ジーンズと言えばアメリカとのイメージを利用するため、児島自体があえてピーアールしなかった事情もあるそうだから、まあ許してもらえるだろうか。
 現地を訪ねると、数百年にわたって培ってきた繊維の町の底力が息づいていた。シャッター商店街の再開発を目指して取り組んでいるジーンズストリートには、ベテランに混じって若い経営者も店を構える。まだ数は少ないが、皆、ものづくりへの誇りを感じさせるこだわり派ばかりだ。通りから少し離れたグラフゼロは、昔ながらの織機で織った厚手の生地を使い、デザインから裁断、縫製まで一貫して手がけている。ジーンズの魅力を語る店主の口調は熱っぽく、ジーンズつくりに携わる職人の心意気が伝わってくる。
80年の歴史を誇る高城染工場では、インディゴ染めの体験をした。藍やインディゴで染めたジーンズ独特のブルーはこうした工場が生み出している。その一端を体験できわけだが、角南みどり代表に指導してもらって染めたスカーフはジーンズとはまた違ったやさしい風合いだ。

バイストン。帆布の生地も買える。

ジーンズストリートと左は製塩王で児島の産業のルーツともいうべき野崎部左衛門の邸入口。宏壮な庭園と重文の建築は見応えがある。

レストラン・ワーゲン 国産ジーンズの資料館がある。正統的なモダンデザインのくつろげる店。食事も珈琲もおいしい。
 ミシンの販売・修理を手がけるリョウザンミシンでは、原田国弘会長が集めた130台のミシンコレクションにすっかり魅了された。ヨーロッパの美しい意匠をこらしたミシンや、幕末に篤姫が使ったのと同タイプのもの、足袋を縫う特殊なミシンも並ぶ。1960年代に、国産ジーンズを縫うため米国から輸入したミシンもあった。何の宣伝もなく店頭に並べ、「ご興味があれば自由にどうぞ」というさりげなさが何ともいえない。年間3万人が訪れ、ジーンズ作りの一部を体験できる工房やジーンズミュージアム、アウトレットショップなどそろってテーマパークのような楽しさが味わえるベティスミスの工場から、小さな工房までジーンズの多様な生産工程がここで見られる。わずか2日の滞在ではとてもその全貌はわからなかったが、ジーンズに詳しい人が訪ねたらまたひと味ちがった楽しみ方もできるに違いない。
 帆布を利用したバッグや小物、現代風にアレンジされた色とりどりの地下足袋などコジマ、クラシキの総合力は新しいおしゃれも生み出している。帆布でできた手提げは今回の旅で手に入れたが、地下足袋はまだこれから。折り返しが花柄になったおしゃれな地下足袋はパリジャンの心もとらえているとか。写真で見た地下足袋は確かにカワイイ。かつての黒や紺の作業靴のイメージは全くない。コジマの繊維産業はさらに変貌を遂げているようだ。


児島ピッポのカルパッチョサラダ(ごちそうノート)


倉敷本町の菓子舗の干菓子


 昼食でお邪魔した小さなイタリアンレストランの料理は安くておいしかったし、児島のうどんも侮れない味だった。倉敷の大原美術館近くの路地裏にはおしゃれな飲み屋もあった。ジーンズが好きで自分で国産ジーンズ資料館まで開いてしまったレストラン「ワーゲン」の店主など、「味」な人たちにも出会った。かつて在来線で通り過ぎるだけだった茶屋町が古い歴史を誇る町だということも知った。今度は自転車で下津井電鉄跡でも走りながら、のんびり瀬戸内の陽光と春の風を味わいたいものだ。


倉敷酒津の取水池。高梁川の堤にそって美しい風景が広がる。