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1998年02月号 掲載

 
ラパス 
関 洋人 (大洲市在住)

ヨコヨコ村の「ボリビアいりこ」売り
 十二月二十九日朝、私たち四人はタクシーをチャーターして、ラパス郊外のティワナク遺跡とチチカカ湖を訪ねることにした。運転手と交渉の結果我々四人で一日の料金が百ドルと決まった。この金額は彼にとって年の暮れの思いがけない稼ぎになったはずだ。
 午前八時過ぎ、私達はすり鉢の底、標高三千七百メートルのセントロを出発した。一つ峠を越すと、ラパスの低所得者層が住む標高四千百メートルのアルト地区。そこからさらに十分も走ると人家は途絶え、石ころだらけで草もまばらな原野が広がる。ボリビアやペルーを中心とした標高三千メートル以上の荒涼とした高原地帯―アルティプラーノ―である。一時間ほどでラッハ村に着いた。征服者であるスペイン人がこの辺りで最初に建設した村だ。家々はすべてアドベ(日干しレンガ)づくり。現在は村の半分近くが廃墟と化し、時たま、がらんとした道を悠然と家畜を追って歩いて行くチョリータに出合うばかりであった。



 しばらく北海道の十勝辺りによく似た風景を走っていると、遠く左手に人だかりが見えてきた。ヨコヨコ村のロバの市と露天のメルカドだ。自家製のチーズ、コカの葉、古着、チチカカ湖で獲れたペヘレイという魚などが並べられている。その中に何人かのチョリータが「いりこ」のような干し魚を売っているのが目についた。そばに行くと売り手のおばさんが愛想良く「ボリビアいりこ」の試食をすすめてくれる。手にとって口に運ぼうとしたところで思わず躊躇した。乾燥したいりこみたいに見えた小魚だったが、触れてみたら半分生で相当強い臭気を発している。かじってみて、おばさんに「ビエン!ビエン!(いい味してるよ)」とでも言いたいところだったが腹具合を慮って自重した。
 ヨコヨコ村の市は実にのどかで風情があった。商品に対してはお金で買ってもよいし、物々交換でもよい。写真を撮っても特に反応はなく、逆に我々の方が珍しがられる始末だった。その日はティワナクからチチカカ湖へ移動する予定で、かなり時間を要するとのことなので残念なことにわずか一時間あまりでヨコヨコ村を去った。車中でT氏が笑いながら言った。「ヨコヨコ村でロバと妻を交換すればよかった。でも多分相手に断られるだろうが……」。かたわらでは彼の妻が憮然としていた。ラパスで聞かされた話だが、ある婦人の子供がロバと一緒に交通事故に遭って亡くなったときのこと、当然、婦人の悲しみ方は尋常でなかったが、その婦人は「ロバが、ロバが……」とロバのことばかり口にしていたという。ここではロバがそれほど大切なものなのである。
(つづく)

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