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1999年04月号 掲載

 
ロザリオ(ブラジルマラニョン州) 
関 洋人 (大洲市在住)

われわれの移動スタイル。
椅子のひとつはこわれ、ひとつは盗まれた。
 成田からリオまで二十四時間。リオからブラジリア・テレジナを経由してマラニョン州の州都サンルイスまで五時間半。ここから車でほとんど直線の道を一時間走るとマラニョン州のロザリオの街に着く。ロザリオは人口二万人余の小さな街である。  一九九三年の十二月二十六日、私は、このロザリオから隣のバカベイラに入ってすぐの場所にある農園(ファゼンダ)の管理をしている獣医師の友人を訪ねるために、この街へきたのである。同行者はドクトルと呼ばれる私の友人と十一歳になる彼の息子である。  ちなみに、ブラジルの人々はマラニョン州一帯を「地の果て」fim・do・mundoと呼び、マラニョン州に在住する日系人はたったの二十家族である。そして、ロザリオやバカベイラ近辺に住む外国人はわが友ただ一人だ。  サン・ルイスの空港までわれわれを出迎えてくれた友人と、われわれは農園に出かける前にロザリオの街をひとまわりすることにした。ところが、空港を出てすぐ、友人が知人を見つけて車を止めた途端にエンストを起こしたのを手始めに一度、エンジンが止まるとなかなか始動しないというトラブルがたびたび発生した。その車は友人の友人で、ロザリオの街瓦工場の工場長、エレネウの持ち物であった。いつもピックアップ・トラックに乗っている友人がわれわれを出迎えるためにわざわざ借りてくれたものである。われわれは、エンジンが止まるたびに街の人々に車を押して助けてもらいなんとかロザリオの街にたどりついた。

街の肉屋
 ロザリオの街で、友人は農園から呼び寄せた自分のトラックの荷台に、やはり、彼の親しい友人であり、ロザリオの街屈指の事業家でもあるエウジェニから借りたスチール椅子を二つ、ロープで後ろ向きに括り付けて即席の座席をこしらえた。ドクトルの息子を助手席に乗せ、ドクトルと私が、その恐ろしい荷台の椅子席に腰掛けて、われわれは、ふたたび、街めぐりに出発したのである。
 街を走ると肉屋ばかりが目につく。ただ軒下に鉤フックが付いていて、それに肉のかたまりを吊るして売っているだけである。道路に面しているから、当然のこと、売り物の肉は直射日光や土埃をまともに浴びる。蝿も存分にたかる。“これでいったい肉は大丈夫なのか?”と聴くと“なあに夜になったら冷蔵庫にしまうから大丈夫”と一向意に介さぬ様子である。
(つづく)

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