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2001年07月号 掲載

 
メリダ メキシコ・ユカタン半島 
関 洋人 (大洲市在住)

マヤの家
 一九八九年十二月二十九日午後十一時半、夜は薄手のセーター一枚位でちょうどよいくらいのメキシコシティーから、ビリャ・エル・モサを経由し二時間半のフライトの後、千五百キロ離れたユカタン半島の中心地メリダに到着した。機外に出ると、名にしおう暑熱の地だけあって蒸し暑い空気がべっとりと体にまとわりつく。ここは、その昔、梅毒トレポネーマや黄熱病の研究で知られる野口英世博士が滞在した土地である。博士はアメリカからエクアドルに向かう航海の間にスペイン語をマスターしたという信じがたい伝説や大胆な借金踏み倒しの名人としても有名だ。現在でも博士の銅像が市内に健在である。真夜中過ぎにホテルにチェックイン。
 翌三十日朝、メリダ南方八十キロにあるマヤ文明の代表的遺跡の一つ、ウシュマルへ向かう。メリダ市内は朝から年末の買い物客でごったがえしている。ここユカタン半島の人々は、マヤの末裔が多く、ユカテコと呼ばれ、メキシコシティーを中心としたアステカの血を引く人々とは、その風貌一つにしても著しく異なる。それ故、ユカテコたちは、自分たちはアステカ中心のメキシコとは違うんだという反中央意識を強く持っている。さらにユカテコたちマヤ系住民だけでなく、ユカタン半島に巨大なアセエンダ(荘園)をもつスペイン貴族の末裔たちにも、政府の土地政策への反感から分離独立の気運が根強いと言われている。そのせいで、この地の富裕層の子弟は、メキシコシティーの大学には進学せず、わざわざヨーロッパやアメリカ合衆国の大学に留学するそうである。
 メキシコシティーの人たちに言わせれば、ユカテコ(特に男性)はみな同じ顔をしていると言う。そのユカテコの風貌を言葉で表現するのは難しいがやってみよう。まずは絶壁頭、次に短く太い首の上にえらのはった顎、鼻梁は眉間の上方から強く隆起し、多くの者が濃い口髭をたくわえている。そして街頭で行き交う人々を観察していると、容易に気づくことであるが、彼らが頭髪と足元(靴)に並々ならぬ神経を使っている。靴については、ラテンアメリカに共通の特徴と言えなくもないが、髪に対するこだわりには驚かされる。信号が赤に変わって立ち止まった男たちを見るがいい。彼らはサッと櫛を取り出して入念に髪をとき始める。青になると歩き出すが、再び赤信号にあうと又同じ行為を繰り返す。ユカテコの老女たちはほぼ全員が白い生地に原色の派手な刺繍をほどこした貫頭衣の上に、一様に焦げ茶色のマフラーのようなものを首にまきつけている。暑いのに……。もちろんこれはマヤの伝統的スタイルだ。
 ウシュマルへの道の途中に、いくつかのマヤ系住民の村を通った。比較的大きい村のソカロでは、リキシャが客を待っている。一面に広がるエネケン(サイザル麻)畑のところどころに小さな集落が散在している。マヤの家は屋根以外の壁や塀は、全部石灰で真っ白に塗ってある。理由はわからない。ただ、マヤ系の住民は、現在でも主食のトルティージャを作る時、原料のトウモロコシを一晩石灰に入れた水に浸してから使う。これは石灰を使うと骨が強くなると信じられているためらしいが、これとなにか関係があるのだろうか。
(つづく)

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