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2004年05月号 掲載

 
ガテマラ共和国 
関 洋人 (大洲市在住)

雲の上にガテマラ富士が見えるアンティグアの町
 翌二十八日の朝、ドクトルの部屋を尋ねると、彼は憔悴しきった顔で、ぐったりとベットに臥せっている。深夜から激しい腹痛に襲われ、下痢と嘔吐の連続で一睡もしていないそうだ。力ない声で、何度も、夜中に私を起こして救急車を呼ぶように頼もうかと思ったと言う。まるで生気を失った顔を見て、仕方がない、これでもう、今回のスペイン語学校入学の件はおしまいだなと思っていたら、ドクトル曰く「俺は今はとても動けないから、おまえが行って様子を見てきてくれ。もし学校が開いていたら交渉を頼む。午後からならなんとかなるかもしれないから」。いやはやたいした執念だ。
 私は前述の通り、ポルトガル語担当だから、全くスペイン語など学習したことはない。この二つの言語は、各々のネイティブ・スピーカーにとっては方言の違いみたいなもので、お互いの意志疎通はそれほど難しくはないという。しかし、私はポルトガル語の初学者、しかも全くの独学でヒアリングに至ってはテキストに付属しているテープをたまに聴くくらいのものだからそれほど簡単には理解できそうもない。いささか不安には思ったが、どうせ閉まっているに違いないと、たかを括って学校へ向かった。  が、学校に着くと、なんと、門が開いていて、三々五々学生達が登校している。私も勇を鼓して中に入り、事務室らしき部屋を探した。そこにいたちょっと「みなみ・らんぼう」風の人物に恐る恐る片言のポルトガル語で話しかけた。「私ともう一人の友人と二人がここでスペイン語を習いたい。今日から始められるか?」。すると、彼は瞬時に私の語学のレベルを把握したものか、はっきり、ゆっくりと幼い子供に話しかけるような口調で「今日からでよろしい!一日四時間でで十ドルだ。午後一時にここに来なさい」と答えた。彼がどうもこの学校の校長のようであった。
私はすぐにホテルに取って返し、ドクトルにこのことを伝えた。ドクトルはいたく喜び、見る見るうちに元気を回復した。午後一時、私たち二人はなんとかめでたく学校の前にたどり着くことが出来た。
(つづく)

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