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2004年06月号 掲載

 
ガテマラ共和国 
関 洋人 (大洲市在住)

私とプロフェソール「ネズミ男」
 午後一時、見る見るうちに元気を回復したドクトルと私は、なんとかめでたくスペイン語学校の門をくぐった。みなみらんぼうに似た校長に授業料を支払いテキストを受け取った後、担任のプロフェソール(教師)を紹介される。アンティグアのスペイン語学校は、全てマンツーマン・システムである。私のプロフェソールは二十歳くらいのちょび髭を生やした青年だ。顔がどことなくゲゲゲの鬼太郎のネズミ男に似ている。ドクトルのプロフェソールは同じ年格好の娘さん。ドクトルは私の方に向かって、してやったりとばかりににやりと笑った。
 机一つホワイトボード一つの小部屋に通されて午後五時までびっしりと授業。渡されたテキストは一度も開かない。そりゃあそうだ。このテキストは英語で書かれていて、スペイン語以外は話せない、私のプロフェソールの青年にもドクトルのプロフェソールの娘さんにも用のないものだったのだから。とすると、校長は、なぜテキストを渡したのかなどと深いことを考えてはいけない。こことて、ラテン・アメリカの一画なのだから。
 ネズミ男氏は、なかなか熱心に教えてくれた。私は英語とポルトガル語は多少わかっても、スペイン語はほとんど駄目、ネズミ男氏はスペイン語以外は全くダメ。結局二人は身振り手振りと下手くそな画を使ってコミュニケーションをとることとなった。ネズミ男氏のアクションは結構派手で私はずいぶん楽しませてもらった。とても、気のいい男で「おれは日本語を少し知っている。ゴキブリ、ケイコ、マユミ、トモコ、サユリ……」と続ける。なぜ、日本の女性の名前が延々と続いたのかというと、アンティグアの日本語学校が日本の海外青年協力隊(二年契約の発展途上国派遣公務員)のスペイン語学習指定校になっていて、彼はたくさんの日本女性にスペイン語を教えた経験があるのだった。次の日もその次の日も休み無しの連続四時間授業はなかなかきっかったが、私にとっては充実した楽しい時間だった。
(つづく)

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