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2004年07月号 掲載

 
ガテマラ共和国 
関 洋人 (大洲市在住)
 ところで、喜び勇んで授業に入ったドクトルの方はどうだったのか?  実は最初の喜びとは裏腹に彼は散々な目に遭ったのだった。彼の若く美しいプロフェソーラは、授業開始の日にひどい下痢をしていたという。授業中に何度もトイレに立ち、戻ってきても腹を押さえては苦しそうな表情をしていたそうだ。当然授業どころの話ではなく、予定より一時間も早く授業を切り上げてしまったという。一時間あたり、二.五ドル払っているのに!
 次の日以降、彼女の体調は回復したという。しかし、授業の内容は反対語がどうの、同義語がどうのといったことばかりで、ドクトルが期待した実践的な内容にはほど遠いもので、あまり役立ちそうもなく、面白くもなかったらしい。一対一の先生と生徒は、最後にはほとんど喧嘩になりかけていたようだ。


生徒に修了証書を渡すらんぼう校長(左) 私の修了証書
 最後の日、卒業式があった。十数人の生徒がパティオに集まってみなみ・らんぼう校長から一人ひとり修了証書を手渡された。その時は気づかなかったが、我々以外はみんな手に小さな紙を握っていた。修了証書の授与が終わると、らんぼう校長が、当然のような顔をして「さあ、一人ずつ、スペイン語でスピーチして下さい」という。ちらちらと手の中に握った紙片を眺めながら流暢なスピーチが続く。われわれはそんなことは事前に知らされていなかったので万事休す。私は、 多少引きつけ気味の愛想笑いを浮かべながら、頭の中で日本語からポルトガル語に訳し、そしてそれに多少手を加えてスペイン語風に発音するという離れ業というか、超人的努力をした。しかし、聞いていた人たちは私のしゃべる言葉をいったいどこの国の言葉なのだろうと思っていたに違いない。
(つづく)

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