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2006年01月号 掲載

エシュウ 
第 2 回 
関 洋人 (大洲市在住)

ルイス・ゴンザーガの格好をした筆者
 すっかり拍子抜けした挙げ句、それじゃあルイス・ゴンザーガ記念館へ行こうと、街の中心を捜し廻るが何処にもそれらしき建物はない。何人かの住人に記念館の場所を尋ねてみた。極めて閉鎖的で排他的な土地柄の筈なのだが、訊かれた人は、例外なく、嬉々として、『待ってました!よくぞ私に尋ねてくれました。』とばかりに満面に笑みを浮かべて教えてくれる。……が、人によって言うことがまちまちで見当がつかない。狭い街だからそんなに難しい場所ではないはずだが……。迷いに迷ってやっとこさ、見つけた記念館は街の中心から約一キロメートルほども離れた原野の中にあった。予想していたよりもはるかに立派な、青と白の瀟洒な建物が広大な敷地に何棟も並んでいる。記念館の入口にはブラジルらしく『裸での入館禁止』と書いてある。館内はルイス・ゴンザーガのレコード、新聞記事、写真、遺品などがよく整理されて展示されており、ファンである私には実に興味深い。ヘジーナも、一つ一つ説明を真面目に読んでいる。しかし、私の友人はいけない。彼は、そもそもルイス・ゴンザーガなる人物を全く知らないのだ! 
 ヘジーナは、『ブラジルに十年以上も住んでいて彼を知らないなんて、全く信じられない!』と言うが、そりゃそうだ。彼の大ヒット曲『ASA・BRANCA(アザ・ブランカ)』はブラジルでは準国歌扱いなのだから。友人は、『俺は歌手はホベルト・カルロス(ブラジル歌謡界の帝王と言われる)しか知らない』とうそぶいている。
 記念館から外に出ると、サンフォーナ(ボタン式アコーディオン。ルイス・ゴンザーガはこの楽器の名手だった)と、カンガセイロ帽(ルイス・ゴンザーガは演奏中、必ずこの帽子を被っていた)を持った青年が近づき、私に「ルイス・ゴンザーガの格好をして写真を撮らないか、衣装代は二百円だよ」と声をかけた。さすがに気恥ずかしくて、最初は断ったが、ヘジーナが「せっかく日本からはるばるここまで来たんだから写真を撮った方がいいよ」とうるさく言う。根が素直な性格なので、すぐに、それもそうだなと思い直して、青年からサンフォーナとカンガセイロ帽を受け取り、建物の前で写真を撮ってもらった。サンフォーナと帽子を返し金を払おうとすると、青年が「わざわざ日本から来たのならタダでいいよ」と実に愛想の良い顔でいう。
 本で仕入れたエシュウに関する知識は、どうも事実とはほど遠い。一軒しかないはずの食堂も、粗末ではあるが、ざっと数えただけでも十軒はあった。
 (つづく)

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