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2002年12月号 掲載
第20回 王子紀行(その二)
文/井上 明久

松山市三津で町並みを描く藪野健先生
 俳人の子規と画家の不折が並んで同じ風景に向かい合っているということからの連想で、前回の最後は話が脱線して画家の藪野健さんのことに及んだ。その脱線を続ける。
 というのも(と尤もらしく理由づけするのは変なことだが)、そもそも僕はこの「東京の子規」なる稿を書くにあたって、できるだけ緩やかな、型にはまらない、つまりはできるだけノンシャランな、いい加減な構成にしたいと考えていた。理想としたのは、小島信夫風というか、後藤明生風というか、融通無碍、自由奔放、天真爛漫、縦横無尽と四文字熟語を四つ並べればいいことずくめのようでもあるが、その反面で、右往左往、曖昧模糊、支離滅裂、紆余曲折といったような四文字熟語を四つ並べることができる類の構成であった。
 しかしながら、根が生真面目なせいか(嘘つけ、という声が聞こえてこなくもないが)、あるいはそれ以上に文学に形式美を外に対しても内に対しても強く求める文学観のせいか、そうしたいと思いつつもなかなか道を外れることができずにいる。
 まずは本道を進んでいる。そこからちょっと横道に入る。横道で少し遊んだら本道に戻る。これがごく一般的な文章の進め方だが、小島信夫風、後藤明生風というのは、横道に入った後、さらに脇道へと外れ、その脇道が別の小道へと曲がりこんでいくといった風で、それがある程度は計算された上でのことなのか、あるいは出たとこ任せの思いつき勝負なのかが即座には判断できない程に、巧妙且つ杜撰(明らかな言語矛盾だが)なのである。
 本来何よりも形式美を追求したがる牢固たる自分の文学観に限りなく反逆を加えて、できるだけ横道へ、脇道へ、小道へと寄り道を広げていきたいのだが、これまでのところなかなかそんな風にいってない。少し寄り道をしかけると、迷子になるのを恐れる子供のようにすぐに大通りに戻ってきてしまう。前回、せっかく(と言うのも変だが)脱線したので、これをいい機会にしてこのまま続けようと思ったのである。けれども、こんな風にそれをわざわざ断わるあたりが"寄り道の本道"(まるで善光寺は 仏教のメッカ であると言うのに等しいが)からはそもそも外れていると言えよう。寄り道はもっと巧妙に、そしてもっと杜撰に。
 藪野さんは、画業は言うも愚かな程に勿論のことであるが、文業においてもその才能を高く発揮している。藪野さんが建物や風景を描いている場に隣りあわせることは割としょっちゅうあることは前回にも書いたが、藪野さんが原稿を書いている場にも時々隣りあわせる。藪野さんが凄いのは、どんな場でも原稿が書けてしまうということである。どうやら藪野さんにとって原稿を書くことは密室や静寂な空間での作業ではなく、街中や人中で絵を描くことと同じ作業らしいのだ。これは僕などにはとうてい不可能なことで、何とも羨ましくてならない。


三津に残る江戸時代の蔵
 つい先日もこんなことがあった。四人で喫茶店に入った時、鞄から原稿用紙を取り出して、「締切りがすぎた原稿があるんですよ」と藪野さんが言う。どうぞどうぞという感じで僕らは勧める。それで僕らは勝手に雑談に花を咲かせる。まわりも客が一杯で、さまざまな会話が耳に入ってくる。そんな中で何ひとつ心騒がせることなく悠然と原稿用紙に文字を書き始める。少し書くと、僕らの雑談に加わり話をひときわ盛り上げた後、再び平然と原稿用紙に戻っていく。また少し書くと、僕らの雑談に……、ということが何度か繰り返され、気がつくと魔法のように七枚ほどの原稿が書き上がっている。話をしながらも作品を描き進めることができるのが(物書きには不可能な)画家ならではの特権だと思っていたのに、藪野さんの場合は話しながら文章も書けてしまうという、僕などには想像を絶する離れ技の持主なのだ。瞬間に込める集中力がよほど違うのだろう。

 
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