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2003年11月号 掲載
第31回 藍染川幻影(その七)
文/井上 明久  絵/藪野 健
第二章 見帰橋(つづき)


 Nは毎日、放課後に清水町(しみずちょう)を訪れた。日曜日は思いきって新橋から汽車に乗ろうかと思った。横浜がどういうところか皆目見当はつかなかったが、菅沼商会と尋ね合わせれば何とか辿り着けるのではないかと思った。けれど日曜日では、仮に見つかってもそこには誰もいないに違いないと思い直した。Nはずっと少しも生きた心地がしなかった。
 教室に真一の姿がない二度目の月曜日が来た。その日の授業が始まる前に、昨日、真一が室扶斯(チフス)で亡くなったことが、担任の口から生徒たちに告げられた。従兄の見舞いにいって、その病気が伝うつ染ったものだと、髭の男はつけ加えた。
 Nの十七歳の秋はこうして始まり、Nの十七歳の冬はこうして終った。
 「突然にお伺いして本当にお許しくださいましね。喜久井町(きくいちょう)の御宅に伺って、こちらにいらっしゃるとお聞き致したものですから」
 教頭と担任に引率されて、数名の同級生と一緒にNは横浜に向かった。けれど、その直前に宣告された夢としか思えない信じ難い事実によって、目も頭も心も、Nのすべては仮死していた。
 真一の叔母に当たる人ならば、その時、葬儀の席に連なっていたに違いなかった。しかし、Nには何の記憶もなかった。祭壇に最も近いところにいたはずの真一の両親の存在さえも、記憶になかった。ただ、正面中央に飾られた遺影の中の、動くことのない美しい笑顔だけが、Nの目と頭と心に遺った。
 「実は今度、谷中坂町の私どもの家に、姪の、つまり真一の妹の、道子がしばらく同居することになりましたので、また何かとお世話になるかとも存じ、ご挨拶にと連れて参りました。どうかお顔つなぎだけさせてください」
 婦人はそう言うと、玄関の格子戸を細めに開けて、何やら外に声をかけた。外から戸が人ひとり分だけ開けられて、若い娘が入ってきた。娘とNの視線が合った。驚いて動揺したのはNの方だけだった。娘は落ち着いた声で、Nに向かって言った。
 「菅沼道子と申します。兄が大変お世話になりました。本当に有り難うございました。どうか兄同様、よろしくお願い致します」  叔母と道子を途中まで送るため、Nは指ヶ谷町(さすがやちょう)の家を出た。東片町(ひがしかたまち)を抜けて本郷の通りに出た時、叔母が道子に向かって、かねやすに用事があるので先に帰っていておくれ、と言った。道子とNはそこで叔母と別れ、根津裏門坂を下(くだ)って八重垣町(やえがきちょう)から根津の通りを渡った。二人の前に、小さな川と小さな土の橋があった。
 「この橋の名をご存じですか」
 Nが尋ねた。
 「いいえ」
 道子は短く答えた。
 「見帰橋(みかえりばし)と言います。僕はあなたのお兄さんと何度となくこの橋で別れました。清水町に遊びにいった帰り、喜久井町に戻る僕をお兄さんはここまでよく送ってくれたのです。そして、互いに幾度も幾度も振り返っては手を振ったものでした」
 二人はそこで別れた。道子は見帰橋の上で一度振り向いて、小さく腰をかがめて頭を下げた。それから前を向き、橋を渡って藍染川の向こう岸に去っていった。

第三章手取橋

 拝啓
 金さま、無沙汰を失礼。その後、御変わりなきや。とりあえず御報告したき事、一つ、二つ、三つほど。
 一昨日の深更、我が拙なる作、遂に擱筆となった。喜こんでくれ。大いなる自信作にて、満天下の識者を唸らせること必定なり、さ。金さん、まあ見てて御覧(ごろう)じろ。
 それで昨日午後、早速にて天王寺町に届けに走った。憶えているだろ、あの時、金さんを連れて行った銀杏(ぎんなん)横町のあの家を。とにもかくにも、蝸牛に向かって筆を起こし、蝸牛に対して我を見せんと企てた作なのだから、蝸牛の目に一瞬でも早く触れさせるべく走ったという訳だ。
 しかしながら、少々、いや大いに、驚いた。何をって、蝸牛先生の人相風格にさ。前もって案内も乞わぬ不躾けにもかかわらず、蝸牛は玄関に足を運んでくれ、こちらの希望を聞くと、いかほどかの時間を下されば、との返答よ。ええ、どうだい。何がどうだいかって。
 いやいや、あの先生が俺や金さんと同じ歳たあ、どうにも見えなかったってことさ。髭もたしかに立派だった。そうには違いないが、髭を生やしたら直ちにああなるかと言えばとてもそうはなるまいと思わせるものを、蝸牛は持っている。つまり物腰からくる人間の大きさよ。上(うわ)っ皮じゃない。金さん、仕事だ。あれは立派な仕事をすることが自ずと風貌に表われ出た模範見たようなものだ。
 金さん、俺は仕事をやるよ。だから、金さんも仕事をやれ。

 
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