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第59回 「東京の坊っちゃん」〈その1〉
文/井上 明久

- 九段の猫 -
    一

 何でも流石とか漱石とかいう男がおれのことを書いてから百年が経つという。
 こいつには実に驚かされた。
 生身(なまみ)のおれはとうの昔に死んでいる。それなのに、文字に書かれたおれの方は百年後の今もピンピンしてるっていうんだから。呆れたもんだ。これもその、流石とか漱石とかいう男が凄いせいなのか。そうだとすると、見上げたもんだよ屋根屋のふんどし、大したもんだよ狸のなんとかだ。
 ま、しかしそんなことはどうでもいい。おれの知ったこっちゃない話だ。誰が自分の死んだ後の面倒が見られるってんだ。耶蘇だか呪詛だかじゃあるまいし。
 そこで、生身のおれがまだ若かった頃に時間を巻き戻そう。いつかって? 無論、奸物どもに天誅を加え中学校に辞表を出して東京に帰ってきてからこっちのことだ。
 ご存じ、かどうかはわからないが、東京に戻ったおれはある人の周旋で街鉄の技手になった。けれども、勤めて半年ほどでそれも辞めた。何をやっても長続きしないのはおれの欠点だが、これも親譲りの無鉄砲のせいかもしれん。
 辞めるには無論それなりの理由はあった。が今は細かなことはあれこれと言いたくない。人間の目玉は顔の前にだけ付いていて何故後ろ側には付いていないか、それは前だけを向いて生きていけという教えなのである。そんなふうなことを中学の時分に漢文だか算術だかの教師から教(おす)わった。どうもこんなことを言うのは嘘つきの法螺右衛門(ほらえもん)くさいが、おれの性分に合っているので有難く今日(こんにち)まで拝借している。終わったことは終わったことだ。
 そんなおれでも清(きよ)の死は応えた。ひどく応えた。今でも後(あと)を引いている。
 母が死んだ時はそんなじゃなかった。母は兄ばかり贔屓にしていた。台所で宙返りをしてへっついの角で肋骨(あばらぼね)を撲(う)ったおれを大層怒って、お前の顔など見たくないというから親類の家に泊まりにいっている間に母は死んだ。もう少しおとなしくいていればよかったと小供心に後悔した。けれどおれを見るなり兄が、お前の親不孝のせいで母が早く死んだんだと言ったので、おれは口惜(くや)しくって兄の横(よこ)っ面(つら)を撲(なぐ)った。
 それから六年目の正月におやじが卒中で亡くなった。おやじはちっともおれを可愛がってくれなかった。だからろくに悲しみもしなかった。
 清の死は母やおやじの死とは全く違った。清が生きている時は有難味もほどほどで、はっきりとそう気づいてはいなかったが、清はおれの心張棒(しんばりぼう)みたようなものだった。清の死でおれは心の張りを失った。あの当座は腑抜(ふぬ)けの呆助(ほうすけ)だった。
 だから自分でも気づかぬほどに呆(ほう)っとしていたんだろう。仕事の上での過失はなかったがどうにも他人(ひと)とのやりとりが億劫になった。同僚と酒を呑むのも気が進まなくなったし、上役への答弁にも熱が入らなくなった。何でもおれの名が呼ばれているのに返辞をしなかったこともあったらしい。我ながら少々情ない。
 がそれにしてもだ。あの上役ときたら女を腐らせてその上にたっぷりと溝水(どぶみず)をぶっかけたような奴で、街鉄に入ったその時からどうにも気に食わなかった。
 そいつは大学出で、技師で、そのことを金縁目鏡のようにいつも鼻にかけていて、物理学校出で、技手のおれをそのことだけで初手から見下(みくだ)していた。ある時、それは清の死の一ヵ月ちょっと後のことだが、その大学出の技師の上役があんまりネチネチとつまらぬことでおれを責めたてるものだから、ついついいつものおれの癖が出てしまい、気がついたらカッとなってそいつの頭をボカンと撲ってしまっていた。
 それが街鉄を辞めた直接の原因だ。人を撲っちまったからには職を辞するのは当然だ。便々とその職場にしがみついているのは男らしくない。四国の中学校の数学教師を辞めたのも同んなじ理由だった。  
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