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第65回 「東京の坊っちゃん」〈その7〉
文/井上 明久

- 山寺 -
 本当に、折角の半年振りの再会だというのに、斯様な風に気不昧くなるのは山嵐に済まない思いがした。おれの未だ未だ修行の足らん所だ。けれど如何なおれでも、無論そこにはおれなりの理由はあった。
 おれは小川さんのことを、面と向かっては一度も先生と呼んだことはない。死んだおやじの旧友として小川さんに出会ったからだ。しかしながら心の中ではいつも小川さんのことを、おれは自分の先生だと思って来た。そしてそういう心積りで接して来た。だから小川さんの実際の教え子でありながら、小川さんを先生とも思わない様な山嵐の物言いに思わず腹が立ってしまったのだ。
 確かにおれの勝手な言い種かも知れん。山嵐にはいい傍迷惑かも知れん。清の死からはもう大分経っているのだが、どうもあれ以来おれは不可ん。妙におかしい。おれがおれらしくない。おれも文明開化病とやらに少々罹っているのかしら。いやいや柄にもない。剣呑、剣呑だ。
 山嵐は赤鬼の様に顔を真っ赤にした。無理もない。お互い故郷から遠く離れた四国の田舎で、辞職を代償に奸倭の輩を打擲した仲なのだ。出会いの頃は兎も角、別れる時には肝胆相照らす心の友になっていたのだ。おれは山嵐が紅蓮の災を口から吐き出す前に頭を下げようと思った。
 その時、小川さんが静かに口を開いた。
 「それは誤解ですよ」
 おれは至って単純だから、小川さんがそう言っただけで何だかすべてが呑み込めた様な気になった。けれど小川さんは幼な子を前にする様に諄々とおれに説いた。
  「堀田君が学校を卒業し社会に出ることになった時、僕の方から御願いした事なのです。確かに学校にいる間は教師と教え子という間柄かも知れない。しかしその教え子が一旦社会に出たならば、その時は対等なる職業人としてつき合おうじゃないか。もうそれまでの先生と呼ぶのはやめて、単なる社会の先輩後輩として、小川さん、堀田君で行こうじゃないか。そう僕から提案したのです。だから、どうか堀田君のことを悪く思わないでいただきたい」
 出来る人は何処までも出来るものだ。おれは自分の不出来を棚に上げて、小川さんがおれの見立て通りの人なのをおれ自身の手柄でもあるかの様に嬉しく思った。そしておれは小川さんと山嵐の前に頭を下げた。こういう頭の下げ方はちっとも嫌じゃない。おれは確かに頑固かも知れんが、自分の非を認めるのはそれが本当の非なら少しも吝かではない。
 済みませんでしたというおれの言葉に、小川さんはいやいやという風に右手を振ると、不意に唐紙を破らんばかりの蛮声を張り上げて、
 「オーイ、お杏!」
 と奥さんの名を呼んだ。きっと些か不穏になったその場の空気を替える目的で、小川さんは故意に大きな声を上げたのに違いない。  唐紙を開けた奥さんは、顔だけを書斎に突っ込んだ姿勢で言った。
 「何ですの、貴方」
 「済まないが新しいお茶と、それから……何か摘むものを、頼む」
 「アラッ、摘むものって……先程お出ししたものは、もう無いんで御座いますか」
 唐紙から覗き込む奥さんの目は、一段と大きく見開かれて卓の上の菓子皿に注がれる。小川さんは少し慌てた感じで、しかしすぐに態勢を整えて言い返す。
 「莫迦な事を仰有るものではない。余計な事はいいから、何か有る物を持って来ればいいじゃないですか。さ、早く」
 「ハイハイ、余計な事な申さずに持って来ればよろしいのですね。では、堀田さんからいただいた『五十鈴』のお菓子を……」
と言って奥さんは唐紙から引っ込んだ。何だ、山嵐の土産も「五十鈴」かと知ると、おれは山嵐の肩を叩いてやりたくなった。  
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