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第67回 「東京の坊っちゃん」〈その9〉
文/井上 明久

- 雑司ヶ谷 -
    -二-
 9月とともに共立学校が始まった。
 何だ神田の駿河台てのはあるが、おれの場合は何だ神田で淡路町てとこか。何で慌てたって、山嵐から北極学校とは言われていたが、これ程までの汚なさとはちょいとおれの想像を超えていた。これじゃあ、風が吹けば材木屋が集まってくるのは無理もない。
 先ずは、門てものは一応あるにはあるが、これが門だと説得されなければそうと気付かない代物である。どっかの塵芥置場から拾って来た様な、太さも高さも不揃いな二本の木が人が三人ほど横に並んだ位の間隔で地面に埋められているだけなのだ。校名を記した門標もない。二本の木に紐を結べば、ただの物干竿である。
 次に、校庭というものが無い。いや、無いに等しい。そう言ってあげなければ余りに哀れだ。四国の中学は広かった。広かったなんてもんじゃない。何処まで行っても学校の庭だった。無論、ここは東京は神田の淡路町なのだから、端からそれには比ぶべくもないが、それにしても狭い。猫の額ではなく蟻の額だ。蟻に額があるかどうかおれには知識がないが、あったとしたら嘸狭かろう。
 そして、おれが何より驚き慌てたのは、校舎そのものだ。これが校舎か。これが校舎なら四国の中学は城郭だ。露地の奥の長屋に毛が生えた様なものが、いやいやそう言っては誉めすぎだ、正確には、露地の奥の長屋から毛を抜いた様なものが、ポツンとそこにあるだけである。
 おまけに、不思議も加わっている。建物というのは、本来その輪郭が画然と見えるものである。ところがこの校舎の場合、朧に霞んでいる。薄っすらと惚けている。何んでだ。物凄い量の埃が建物の周囲を浮遊しているからか。それとも建物の根太が緩んでいて、一寸の風にも前後左右に細かく傾ぐせいか。何にしても、輪郭が判然しない建物を見たのは初めてだ。
 また、内に入って見て、吃驚した。いや、呆れた。いやいや、怖れた。廊下の其処彼処が陥没している。木が腐っていて、強く踏み込んだ足が板を踏み破った痕らしい。随分と険呑じゃないかとおれが忿懣を漏らすと、山嵐の言う事が振るっている。雨が降った後の泥濘道を歩くのと一般だ、いいとこいいとこを選んで歩くに如くはないじゃないか、だと。学校の廊下と天下の往来が一緒で堪るか。  おれはこれから、毎日毎日こんな所に来るのかと思うと、心底、落胆した。金殿玉楼が待っているとは端から思ってはいなかったが、まさかこれほどの貧殿曲楼とは予想だにしなかった。山嵐の誇大風狂な物言いに慣れていたので笑って聞き流したが、今度ばかりは山嵐の奴め真実を言ったのだ。飛んだ正直正太夫だ。ま、これも親譲りの無鉄砲のせいだ。
 新学期の最初の日、おれは教場に入って行った。おれが教壇に登ると、それまで座話座話していた生徒達は殊勝な事に静まり返った。案外良く出来た生徒達だ、とおれは内心少しばかり胸を撫で下ろした。そして、三十人程の生徒の前でおれは第一声を発した。
 「おれは多田行輝だ」
 一瞬の後、教室の片隅から一つの声が挙がった。
 「何だ、ただ生きてる……か」
 その声に従う様に、教室のあちらこちらから、ただ生きてる、ただ生きてる、と妙な節を付けた合唱が始まった。
 「バカモン! これでも元は旗本だ。旗本の元は清和源氏だ。おれは多田の満仲の後裔だあー」
 すると、教室中から一勢に大歓声が湧きあがった。
 「まんじゅう、まんじゅう、ワアーイ、饅頭、饅頭先生だあー」
 
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