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1999年11月号 掲載 

日本庭園鑑賞会 
光教寺(宇和町)から龍光院(宇和島市)へ 
 


 十月三日、日曜日、宇和町卯之町の光教寺と宇和島市の龍光院で「日本庭園鑑賞会」が行われた。講師は「あけぼの」六月号で宇和島市にある国指定名勝の庭園「天赦園」を案内していただいた岩城有作氏である。
 宇和町の中町の古い町並みから重要文化財の開明学校に上がる坂道が臨済宗妙心寺派の清泰山光教寺の参道だ。開明学校を過ぎて、ほんの五歩も上がれば、光教寺の山門につく。大きくはないが、風格を感じさせるこの山門は、天保時代に今の本堂が建てられたときか、その少し後かに、宇和島の金剛山大隆寺から移築されたものという。この寺にシーボルトの弟子で、その娘イネを養育した二宮敬作の墓が有ることは知っていたが庭園のことは少しも知らなかった。


 庭は本堂と庫裏の裏の山裾の谷あいにあった。岩城氏が先ず三十人ほどの参加者に、この庭は京都の縮景ではないかという見方を説明された。京都の地図を示されながら、眼前の庭の手前の池が巨椋池、鴨川の流れはこれ、桂川があそこ、御所は中央に見える台地、本山の妙心寺はあの石、三尾の紅葉もある。言われてみると実にぴったりと符節が会うから不思議だ。この寺にある、謀殺された戦国時代の宇和郡の支配者西園寺氏の霊廟は比叡山の位置にあたっていた。狐につままれたような気分で実際に庭園を巡ってみた。天赦園でも経験したことだが、岩城氏の説明が強い説得力で迫ってきた。
 京都縮景説の面白さと、自然を活かした庭の美しさを味わった後、宇和島市の龍光院へ移動した。


 JR駅に近い龍光院には、最近岩城氏が作庭した新しい庭がある。庭は眺めのよい高台にある書院の北西面につくられているため、宇和島城や鬼ケ城連山の借景がすばらしい。 光教寺の自然の多い、古庭園を見た後で、この庭を見て最初に驚いたのは、水晶やメノー、アメジスト、そして床の間に飾ってあった石など、表面的に見れば、ハチャメチャ調かとも思われるほど多くの種類の石が使われていること、そして、自然の土や草木が一切なく、モルタル仕上げがむき出しになっていることであった。岩城氏は、材料や工法において、一見、放埓とも見受けられるほどのおおらかさで、伝統的作庭の枠を壊しているのだ。なぜだろう。庭を前に、岩城氏の作庭意図を聞いた。メンテナンス・フリーの庭をつくってほしいと言う施主のご住職の意向を正面から受けとめ、現代感覚と古庭園をともに追求するという課題に取り組んだのだと言う。石の配置や組方は厳しく伝統に立脚したもので、話しを聞く内に庭に込めた氏の作庭意図、物語性が次々に浮かび上がって来た。宗教的意味や、寺号そして、ご住職の家族のストーリーまでをこの庭は語っている。また一方で、童心にみちた遊び心や楽しさというものをも氏は積極的に求めていた。欲張りで、不思議な感動に誘う庭であった。私は古庭園の第一人者が、間違えば、二兎を追うものと言われかねない難問に正々堂々、気負いもなく挑戦した姿勢に打たれた。  氏は、最後に龍光院の庭は雨や雪の降る日が最適な鑑賞日和であるとも言われた。

光教寺の庭

庭をめぐり、京都地図と比定する見学者たち

 
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