第16回
 宿毛へのツーリング
 
 

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- 観音岳の肩の峠の登りから鹿島方面 -


 二度の宿毛行

- 朝のうどん。変らない味 -



- 宇和島の金剛山大隆寺にある和霊神社の祭神となった山家清兵衛公頼の廟所で -


- 水荷浦の段々畑 -
かつての南予の浦方や宇和海の島々は皆耕して天に到る段畑だった

- ポモドーロで食べた、イサギとボラの自家製からすみ、モッツァレラのスパゲッティ -



 4月半ばに倉敷から帰ってから、二度宿毛に出かけた。一度目は、去年四万十を一緒に走った大阪の友人と。松山から宇和島まで高速が開通したので、愛車のダイハツ・ネイキッドに自転車を積んで津島町の高速の終点に近い「津島やすらぎの里」まで来た彼と、岩松を散策後、県道津島宿毛線で岩淵の満願寺を経て御内に上がり、新緑と松田川渓谷の風景を楽しみながら宿毛へ下ちった。宿毛のポモドーロでゆっくり食事をしてマスターといろいろ話し、片島や魚市場を見ていたら空模様が怪しくなったので、低床式の宇和島自動車の路線バスで輪行して帰った。バスは大型で快く自転車を載せてくれた。
 二度目は倉敷児島で一緒に走ったOさんとである。コルナゴ・フェラーリの高価で美しい自転車の乗り手だ。突然西南四国の遍路サイクリングの途上で携帯に電話があった。
 Oさんが、卯之町の明石寺から歯長峠を越え、仏木寺、龍光寺とまわって宇和島に着いた晩、駅前のホテルを訪ねて宇和島東高校近くの「どっこいしょ」という居酒屋で翌朝からのコースを打ち合わせた。朝は、「朝のうどん」を食べる。先ず、私が自転車を積んで、Oさんに伴走し、海岸沿いに水ヶ浦の段々畑へ、それから引き返して下波、北裏と美しい海岸線を岩松へ。岩松でお昼。大畑旅館で六宝を食べた後、そこから私は車を置いて、友人の軽トラックに自転車を積み国道56号線を南下し、鳥越トンネルから柏坂をへて、標高700mの観音岳の肩まで上げてもらう。私を下ろした友人は来た道を戻り、自走して南下中のOさんと出会った場所から、Oさんと自転車を載せて再度坂を登る。頂上で落ち合って友人のトラックを見送った後、二人は標高500mくらいの上槙まで下り、さらに松田川の渓谷沿いに約15キロほどを一気に下って、宿毛への県道に出る。そこからは最初に走った友人と同じコースで宿毛に下った。倉敷ですっかりなまった私の体調で、戦闘スタイルで走るOさんに着いて行くにはこれしかなかった。宿毛に午後6時前に着き、ワインの好きなOさんとまた「ポモドーロへ。イサギとか、イギスの焼いたのとか、自家製のカラスミとかぶとかいろいろ食べて飲んで、その日は宿毛に泊まった。よく日は、深浦漁港の市場食堂でカツオの刺身を食べ、観自在寺まで一緒に走って、足摺に引き返すOさんと別れた。


- 下波水産試験場の先の登り -


- 松田川の渓谷沿いで -


 岩松散策

- 大畑旅館の前で -

 岩松では二人とも岩松の町並みへ連れて行った。車の多い国道から、新しい岩松橋を渡って旧道に入り、臨済宗の臨江寺から上本町の町並みを見ながら東小西の表玄関のあった駐車場から路地へ入り、蔵の少し先の芳原(ほわら)溝の暗渠の上の路地へ入る。また旧道に出て、西村醸造、内山商店など町並みのハイライトになる建物の連なりを過ぎ、岩松川に出る。二人とも落ち着いた町並みをしきりにほめた。特に大阪の友人は川沿いの道に出てしばらく行くと、「この道、いいなあー」と言ってゆったりした町の雰囲気が気に入った様子だった。新橋を過ぎ、魚市場、小西本家の石垣の富士山を見て、大きな松がある大畑旅館へ。自転車を降りて、獅子文六仮寓の家であったことや、少し先の駐車場に緑座という劇場があったこと、大正時代は役場があり、その前は小学校であたことなどを話しながら、それぞれのコースへ向かった。

 満願寺から御内まで

- 満願寺の藤棚。大阪から来た友人 -

 ここで大阪の友人と走った岩松から御内までについて書いておく。岩松橋を過ぎ、三島神社から山沿いに走り、適当に道を左にとって津島宿毛線に出て、岩淵のあたりで、満願寺に寄った。この寺は、柿の実の中に二重に実が生じ、二重柿、あるいは「子持ち柿」などの名で知られる有名な柿の古木がある。昔、弘法大師が行脚の折、立てた杖が芽生え、根を張って、実をつけるにいたったという伝説が「世の中を仲むつまじく親と子が二重の柿にそれと知るべし」という歌とともに伝わっているという。ちょうど住職が薬師堂の方から降りてこられ、藤棚が満開だから見て行ってくださいと声をかけていただいた。
 藤は、強い日差しに輝くように咲いていた。薬師堂と本堂にお参りし、柿の木の下で写真を撮った。ここから、馬の淵温泉から登りはじめ、御内まで300メートルほどの標高を横吹渓谷に沿って登る。ちなみに私の自転車はフル・カーボンで武骨なデザインだが軽い。彼の自転車はクロモリで、繊細で美しいが、若干重い。塗装はわざわざイタリアの名車ランチャと同色にしてあり、デザインは洗練されている。私とツーリングに行く時は、なるべく重い自転車で来てくれるのである。しかし、その配慮にもかかわらず、すいすいと先を行く友人の背中が小さくなり、やがて見えなくなった。マイペースでやっと登りきり、御内の入口の湿原のところにさしかかると、すぐ先で友人が畑仕事をしている人と立ち話をして待っていた。10分くらい待ったようだった。男の人はすぐそばの農家の方で、背後から風が吹き下ろす御内の集落に特徴的な、屋敷を取り囲む防風垣を見て行くようにすすめてくれた。

 御内から宿毛へ

- 松田川が広がったあたり -
背後に山本牧場が見える。

- 出井の松田川渓谷沿いの道で -


- 坂本ダムの鯉幟 -

 右手の田んぼの中に御槙小学校が見える。中学校は廃校になったが、コンクリート造りの大きなプールが出来たのは昭和30年代で、麓の市町村の子供たちが水泳大会の時は山に集まったというような話を聞いた覚えがある。プロパン以前の薪炭の時代は人口も多く賑わった山村の中心地だった。石焼窯のパンの案内があるが素通りして下る。
 御内は北に千メートルクラスの鬼ケ城山系の山々、譲り葉森、音無山、そして高知の大黒山に続く山々が連なり、東南の観音岳から西南にかけ観音森、瀬戸黒森、南予最高峰の篠山へと連なる山々に囲まれた美しい高原である。
 Oさんとは観音岳の肩の峠から上槙に下り、瀬戸黒森の裾を、松田川の渓谷沿いに走ってきたわけだ。松田川が川幅を広げたあたりから右手に払川温泉への分岐がある。篠山へ続く道である。払川温泉は地元の方々によって運営されている。最近芝桜で知られるようになった山本牧場も川の向こうに見える。ここからは、二度とも同じルート。快調に下って、このコースのハイライトの一つ出井の渓谷ぞいの道を過ぎ、橋を渡って少し行くと笹平キャンプ場、ここから坂本ダムまで平坦な道が続く。道が広がって少し走るとダムへの登りが始る。それほどのことはない。坂本ダムを過ぎれば後は一路宿毛まで下りが続く。


- 宿毛の林有造邸 -


- 宿毛湾 -



- 宿毛の魚市場で -
カツオとヨコが水揚げされていた。

- ポモドーロのマスターと -
クロモリ好きのマスターと友人は話が合った。


 宿毛から深浦、城辺、観自在寺

- 宿毛快晴 -
小野梓の墓所に参る。

- 国道56号は車が少ない -

 一度目は宿毛からバスで帰った。二度目は天気にめぐまれ、翌日は宿毛から深浦、城辺と走り観世音寺まで旧道を走った。途中小山で、だいぶ前に赤穂浪士の絵馬を見せていただいた春日神社に参詣した。拝殿は修築されていたが、絵馬はもとのまま飾られていた。神社の前に新しいトイレが出来ていた。小山から国道に出て、しばらく走り深浦へ。魚市場の食堂でカツオの刺身を食べ、深浦からは古いトンネルを抜けて、宮本輝の「地の星」に出てくる風景をたどりながら観自在寺についた。城辺では、旅館を閉められたと聞いていた玉水旅館の前を走った。見事にすべてが消えて更地になっていた。本来無一物、「チュウさん」らしい豪快な終り方のようにも思えた。観自在寺の門で2日間一緒に走ったOさんと別れた。彼は引き返して宿毛の延光寺へ参り、大月のリゾートホテルで一泊、翌日は土佐清水から中浜村を通り、足摺岬の金剛福寺に参って中村まで走って今回の旅を終えたそうだ。電話で話したところでは、すべてよかったけれど、上槙から御内までのコースは特に印象が深かったそうだ。


- 一本松町小山の春日神社で -


- 春日神社の赤穂浪士の絵馬 -



- 深浦の手前で -


- 深浦の蘇我人神社 -



- 深浦漁港市場食堂のカツオ -


- 観自在寺参道 -


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