第17回
 田染荘から宇佐へ
 
 

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 田染荘から宇佐へ

- 別府カッパ温泉 -



- 日出若宮八幡宮 -



- 日豊本線大神駅 -


- 熊野磨崖仏への乱積みの石段が続く -
 9月の初め、偶然、東京に住む二人の友人が愛媛の対岸の国東半島に来た。一人は六人の学生を連れて研修旅行。もう一人は一ヶ月宇佐に滞在して、連載記事の取材という。
 八幡浜からフェリーに乗って別府経由で出かけてみることにした。午前零時過ぎに出港して別府までは約2時間半、3時半頃に着くが、深夜便は船内で、午前5時まで休むことが出来る。
 深夜便で、乗客は少なく、すぐに、寝入ってしまった。目が覚めると船は既に別府港に碇泊していた。うつらうつらしていると、5時少し前に船内の照明が着き、下船時刻の案内があった。トラックや乗用車が下船したあと、最後に船を降りる。自転車はママチャリの青年と私の二人だけ。まだ、うす暗い。上陸して右手の、宇佐に向かう国道十号線を少し走ったところで山側に入り、24時間営業の「カッパ温泉」へ。温泉につかり少し休んで、明るくなった6時過ぎに出発。雲は多いがまずまずの天気だ。心地追い風である。別府湾に沿って、国道からろ、日出ヘの道に入って約30分ほど走ると、左に立派な楼門が見えてきた。日出若宮八幡宮である。自転車をとめて境内に入ると、おばあさんが一人、石段を掃き清めている。挨拶して、少し言葉をかわした。左手の神明様と道路向かいの金毘羅様の三社参りが出来るということを教えてもらった。八幡様から神明様、金毘羅さんとお参りして、再び走り始める。しばらく道なりに走って、山側に走り、また左に少し走っていると大神(おおが)駅の入口に出た。ここまで別府から約17キロ程度。睡眠不足で少し疲れ気味なのと、時間短縮のため、中山香駅まで日豊本線中津行普通列車を利用することにした。自転車をたたむときに手についたチェーンの油を拭いていたら親切な駅員さんが古いタオルをくれた。7時19分発中津行き。通学の高校生がたくさん乗り合わせたが杵築で半分くらいが下車していった。中山香まで2駅、所用11分で、270円。ここから、国指定重文の熊野磨崖仏へは約4キロの上りである。寝不足でなくとも、私には結構きつい坂である。ゆっくり走って約30分強。上り口で、県道から右に入り、表面のいたんだ細い道を少し登ると熊野磨崖仏案内窓口のある休憩所に着いた。二百円の拝観料を支払いここからは徒歩で登る。どのくらい登るのかわからない。竹の杖を貸し出しているのである程度は登るようだ。だれ一人出会わず、階段をきった、ゆるやかな登山道を上がって行くと、小さな石の太鼓橋と石の鳥居があり、その先にまるい石を無造作に積み上げた急な石段があった。歩上がっていく。息が切れ、汗が噴き出してくる。しばらくすると、左手に空が透けて見えてきて、前にそそり立つ岸壁に巨大な不動明王が見えた。間に小さな風化した仏様の顔があり、右手には、巨大な大日如来が鎮座していた。ひと目見て、すばらしいと思う。参拝して、すぐ石段にもどり、登りきった所に建つ、小さな社に参拝、もう一度下って、不動明王の前におかれたベンチに腰をおろした。やさしい表情の不動明王のお顔を拝しながらしばらく休んだ。


- 不動明王 -


- 大日如来 -



- 田染荘の夕日観音と朝日観 -


- 小崎の台薗地区で会ったおじいさん -


- 雨引社 -

 国東半島は、中心部の古い鐘状火山(トロイデ)両子山火山群が、四方八方、放射状に走る谷によって侵食され、絶壁や、奇岩・怪石が林立する風景がそこかしこに見られる。その絶壁にすばらしい磨崖仏が彫られているのである。熊野磨崖仏は中でも最高の作と言われているそうだ。友人がどこにいるか確かめるために携帯電話をかけると、まだ朝ご飯の最中だった。田染の田圃のどこかで出会えるだろうということで、電話を切った。
 石段を、慎重に一歩一歩確実に足を踏んで下る。ここは、田染荘の最南部の奥の小さい谷である。案内所で、杖を返して、右手の細い道をゆっくり下り、舗装路に出た。田染荘の中心部まで一気に下る。途中で水を補給し、真木大堂へ。重文に指定された平安時代の諸仏を拝観し、また田圃の中を走る。案内板に従って、鎌倉時代の田圃の風景を保存しながら農業が続けられている小崎(おざき)地区へ向かう。左手の急な坂を上がり、左手に二の宮八幡を過ぎると、右手に朝日観音や夕日観音のある奇岩が見えてくる。案内板があり、朝日観音も夕日観音も、遊歩道があって台薗地区の田圃と集落の風景がすばらしいし、それぞれ岩屋があって古い仏様がいらっしゃるそうだが、今日はそのまま下って行く。イネがみのった田圃の脇に立っておられたおじいさんに道を訪ねると、小崎の台薗地区の見どころを教えてもらうことができた。雨引社という、小崎で最初に田圃がつくられた湧き水のあるところに、先ず行き、そこから下って来ればよいとのことである。教えられた通り、少し先の田圃の中の道を向い側の山裾までつきあたり、水路に沿って左に道を上がっていくと教えられた通りの小さい神社があった。


- 雨引社前の観音丸からの湧水で小崎で最初の田圃が開発された -


- 田染荘小崎の鎌倉時代の田圃を今に伝える風景 -


- 小崎の延寿寺の石殿で -


- 富貴寺阿弥陀堂 -

 歴史学者の石井進が書いた『中世の村を歩く』の中の「宇佐・国東の村」の章にある「田染荘ー神仏と祭りの里」をかつて読んだことがあった。しかし、もう田染の地名は、ほとんど記憶がおぼつかなかった。親切なお年寄のおかげで雨引社にたどりつくことができたのである。雨引社の手前に車を停めて、一人のお年寄がたたずんでおられた。挨拶をして、少し話していたら、学生たちの案内を頼まれていると言われる。田染の地名などを長年研究され、石井進の研究を支援された河野了先生だった。ほんとうに、偶然だが、友人や学生たちを案内するために待っておられたのである。
 しばらくすると学生たちがあらわれ、遅れて友人がやってきた。私は延寿寺と、富貴寺まで彼らに同行し、幸運にも河野先生の貴重なご説明を拝聴することができた。
 富貴寺を拝観した後、彼らと別れ、一路宇佐神宮をめざした。桂川にそっての下り道を約十二、三キロである。宇佐に入ってから小さいアップダウンが多く、逆に吹いてくる風と強い陽射しに少しくたびれたので、県道の脇にあったイタリア料理の店に入って休むことにした。ピザを一つ食べ、水をいっぱい補給して出発。宇佐神宮の参道に着いたのは2時半過ぎ。宇佐に来ている友人とは境内の呉橋の近く、漱石が宇佐神宮にきた時に詠んだ俳句をプレートにしてならべた土手の上の遊歩道で行きあった。
 その日は、宇佐の友人の仮住まいに泊った。翌日は午前中、学生たちに合流して、大分県立歴史博物館を見学。学生たちといったん別れて、風土記の丘を見た後、昼は又みんなで合流して、宇佐神宮参道で宇佐名物ネギ焼きを食べた。今回はこれでおしまい。帰りは宇佐駅から特急で別府駅まで輪行し、別府港へ。午後7時半に八幡浜港へ到着した。船内泊一泊、宇佐一泊の短い旅であった。次は田染荘に泊まってゆっくり歩いてみたいと思う。


- 宇佐神宮鳥居 -


- 呉橋の隣の橋で -


- 参道のかき氷 -



- 大分県歴史博物館 -


- ネギ焼き -


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