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2001年05月号 掲載 
幻の酒 『鴎外の坂』のこと
喜多郡五十崎町

「波」4月号の記事
 めずらしく東京の友人が電話を掛けてきた。『鴎外の坂』を知っているかという。知っていると応えた。地域雑誌『谷中・根津・千駄木』編集人の森まゆみが書いた森鴎外の評伝でたしか文庫にもなっていただろう、というような話をした。すると、どうも噛み合わない。日本酒の方だと友人がいう。それなら聞いたことも見たこともない。
 友人が書店で無料でもらった新潮社の読者雑誌「波」の四月号を読んでいたら、森まゆみのエッセイが掲載されていた。そのエッセイは「『鴎外の坂』、酒になる」というそのものズバリの題。

純米大吟醸  鴎外の坂
酒は東京農業大学の竹田正幸教授の指導のもと江戸酵母を使い醸造、 酒名は森まゆみの外評伝の書名による。原料米は山田錦で精米合は50パーセント
 愛媛県五十崎町の酒造会社の社長が、旧知の森まゆみの名著『鴎外の坂』を酒名とした酒を、百年近く母校の大学の研究室に保存されていた江戸酵母を使い、現代の高精白技術をもちいて醸した。鴎外の東京方眼図の地に鴎外ならぬ森まゆみ直筆の酒名を配したこりにこったラベルを貼り、東京の谷中根津千駄木地域で限定発売したところ、大好評のうちに完売し、ついに「幻の酒」となったこと、そして、森まゆみ他「谷根千」の編集人たちと新潮社担当編集者同行の酒造会社訪問記もあって、とてもおもしろいから、早速お前も読めと言うのであった。
 その酒造会社の酒なら私も飲んだことがあった。五十崎の御祓の棚田の有機無農薬の米で酒を醸していることで知られている会社だ。「銀河鉄道の夜」だとかいう名の凍らして飲む酒を松山空港で買って、土産にしたこともあった。しかし、「鴎外の坂」については、何も知らなかった。

亀岡酒造/ 愛媛県喜多郡五十崎町大字平岡甲1592-1
電話0893-44-2201

亀岡酒造の酒蔵

「鴎外の坂」単行本
季刊アスティオンに連載後、単行本に。 芸術選奨新人賞を受賞した、文庫本もある。新潮社刊
 松山に出たついでに丸三書店に寄り、「波」をもらった。表紙には最近新しい全集の刊行が始まった故小林秀雄の横顔があった。モノクロ写真の左下の部分には、小林の自筆で「知ル者ハ言ハズ 言フ者ハ知ラズ」という箴言が白抜きされていた。  さっそく頁をめくった。たしかに、友人が知らせてくれた森まゆみの軽妙なエッセイがあり、五十崎の酒蔵訪問の写真も載っていた。  数日後に、その酒造会社を訪ねた。古風な造り酒屋の建物に入ると、左の事務室からきちんとしたスーツ姿の女性が出てきた。だめもとで「鴎外の坂」がほしいとたずねてみた。むろん「鴎外の坂」はなかった。「波」に書いてあったとおりであった。  瓶とラベルを見せてもらうことができたので、写真に撮った。春先にしぼり酒を味見させてもらったら、辛口で旨味がある味のように思いましたと女性が話してくれた。今年は少し多めに仕込んだそうだから、もしかしたら、九月頃には地元でも飲めるかも知れないという。私は、御祓でお四国さんの道を案内してもらった季羽さんの作った米で醸したという「鼻白き猫の話」という、奇態な名の酒をわけてもらい、東京の友人に送った。
 
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