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2006年05月号 掲載 
裏返された坊っちゃん ミュージカル「坊っちゃん」を観て
井上 明久 

中学生達はギリシア演劇のコロスの役割を果たす。
 東温市見奈良のレスパスシティ内に完成した「坊っちゃん劇場」のこけら落とし公演の初日、四月二十二日(土曜日)六時半からの舞台を観た。記念すべき第一作として選ばれた演目は、ジェームス三木の脚本・演出によるミュージカル「坊っちゃん」である。劇場に付けられた名前といい、伊予松山を世間に広く知らしめた功績といい、「坊っちゃん」以外にはないというところだろう。
 それに何といっても、今年は小説「坊っちゃん」が誕生してちょうど百年という節目の年である。夏目漱石が親友の正岡子規、高浜虚子ゆかりの俳句雑誌「ホトトギス」に「坊っちゃん」を発表したのが明治三十九年四月のこと、これが一九〇六年にあたるわけである。満百年を迎えたヤンチャ坊主の正義漢・坊っちゃんが、どんなふうに舞台の上に出現するのか、松山市民、愛媛県民ならずとも、坊っちゃんファン、漱石ファンなら、大いに関心を寄せるところである。
 坊っちゃん劇場は、秋田県の劇団「わらび座」の専用劇場で、四階建て延べ二千平方メートル、四百五十席の観客席を持つ。今回の公演はわらび座の役者ばかりでなく、地元のオーディションで選ばれた人も加わっている。舞台演劇に着実な歴史を刻んできたわらび座という北国の肉体に、未知の可能性を秘めた新しい南国の血が加わることで、突拍子もなくおもしろいものが生まれてくるかもしれないのだ。
 この日の松山地方はあいにくと午後からは雨模様だったが、開演前のロビーはたくさんの花束と多くの老若男女で華やかな賑わいを見せていた。ここに駆けつけた人々は、地域文化発信の基地として常設劇場を持つという画期的な出来事に対して(西日本では初めてとのこと)、期待と興奮を感じていたに違いない。
 ミュージカル「坊っちゃん」は、いくつかの点で深甚な興味を覚えた。漱石でお馴染みの世界とは異なる、新たな「坊っちゃん」の世界を見ることができた。これはジェームス三木の脚本の出色さの故である。その第一は、小説「坊っちゃん」がすべて坊っちゃんの視点から見た第一人称の世界であるのに対して、ミュージカル「坊っちゃん」では逆に坊っちゃんは見られる対象で、世界を見て語っていくのは中学生たちの方であるという点である。
 もちろん、原作同様に中学生たちは坊っちゃんにいたずらをしかけたり、悪態をついたりするが、それだけでなく、ギリシア演劇におけるコロスの役割のように、舞台全体のストーリーの進行役でもあるのだ。だから、原作では気一本な正義漢として絶対的な存在である坊っちゃんも、ここでは、威勢はいいが半可通のおっちょこちょいとして笑われるべき存在に相対化されている。
 また、原作における坊っちゃんとマドンナはほとんど直接的な関係を持つことなく終わるが、ミュージカル「坊っちゃん」では坊っちゃんとマドンナの恋(?)がメインテーマとなる。本当は惚れられてもいないのに相思相愛だと思いこみ、そのうえ義のため人のためみずから身を引いてヒーロー気分にひたっている坊っちゃんは、ほとんどフーテンの寅さん的三枚目の役である。確かに、こんな坊っちゃんは今までになかった。けれども、大いに笑いながらもちっとも憎めないところは、やっぱり坊っちゃんの坊っちゃんたる所以だろう。
 マドンナがうらなりと結ばれるというハッピーエンドも好ましいし、男優が演じる清が坊っちゃんを松山まで迎えに来て東京へ連れて帰るという結末もなかなかに含蓄がある。なるほど「坊っちゃん」の世界は、ずいぶんと奥深く、幅広いものだと感じた。
 終演後、舞台を降りた俳優たちがズラリとロビーに並び、出てくる観客たちと熱い握手や言葉を交わしている光景が延々と見られた。来年三月二十五日まで計三百八回の公演が予定されている。初日のこの熱気と興奮が日を追って高まり、ひとつの大いなる力となることを願ってやまない。


坊っちゃんとマドンナ

うらなりとマドンナのハッピーエンド

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