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2006年06月号 掲載 
「坂の上の明治人」ノート
短期連載 第2回
四月十五日の南海放送ラジオ、堀田建設スペシャル『坂の上の明治人』の内容を パネリスト別に編集人がまとめたノートです。
粕谷一希さん 〈 第二回 〉  

私の好きな明治人 

 
 先ず、秋山真之を挙げる。真之については、司馬さんが語り尽くしている。「幕末三人男」の坂本龍馬、高杉晋作、土方歳三もそうだが若く死んだ人はさわやかな印象を残し、ヒーローの条件だ。長生きした山県有朋や、板垣退助は評判が悪い。土佐の平尾道雄さんという郷土史家と旅をした時に「板垣は長く生きすぎた」という述懐を聞いたことがある。伊予松山人、子規の同時代人で友人でもあった秋山真之の生き方は実にかっこよく、後味がいい。日露戦争、日本海海戦に全精力を傾注し尽くして亡くなった感がある。中央で総理や元帥になるよりも故郷で中学校の校長になる道を選んだ兄の好古ともども、無欲な生き方をした人だった。虚飾のない、人生の本当の真実だけを見ているという人。だから人気がある。
 秋山の上官、東郷元帥はどちらかというと凡庸な人。山本権兵衛(日露戦争時代の海軍大臣)がその東郷を連合艦隊司令長官に選び、凡庸と評された東郷が真之に全力を発揮させた。ハーバード大学に留学し、セオドア・ルーズベルトと親交のあった金子堅太郎が日露開戦とともにアメリカに行き、世論工作をし、ポーツマス講和条約締結に活躍した。明治は人間関係がうまくつながり、人が人を知り、組み合わさって大業を成した時代だった。
 もう一人は伊藤博文。伊藤は女癖が悪かったし、それを隠さなかった。だから「だら幹」のイメージがあるが、伊藤は明治憲法を作り、明治の国家体制をつくった人として評価する。英国留学で言葉も出来、頭脳明晰。伊藤自身がオーストリアの憲法学者シュタインのもとに一年半も出かけて、講義を聞き、直にアドバイスを受けた。明治憲法を欽定憲法というだけで否定的に語る人がいるが間違いだ。当時の最高の頭脳が全力を傾注し、世界のあらゆる憲法を参照し日本に合わせてつくったもの。戦後憲法の平和主義は大切だがアメリカの強制で急造した戦後憲法とは出来が違う。法制史の滝井一博の『文明史のなかの明治憲法 この国のかたちと西洋体験』(講談社選書メチエ)という好著がある。戦後は論文の本文より注の方が多いような、東大法学部の専有物のようなものになった「国家学会雑誌」も元は伊藤がつくったものだ。伊藤が国家学会をつくった頃は学者、官僚、政治家すべてが会員になって国家体制をどうつくっていくかを研究するためのものだった。明治国家の建設者としての伊藤は再評価すべきだと思う。

●次回は粕谷さん第三回「子規の日露戦争従軍、松山人安倍能成」

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