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2001年06月号 掲載
大原富枝文学館
 
9時~17時(月曜休館)
TEL 0887-76-2837

外観

移された書斎

生前大原が自署した著書が 頒けてもらえる。
 五月初めに、高知県長岡郡本山町の大原富枝文学館を訪ねた。戦後最大の女流作家・大原富枝が健在だった一九九一年十一月二十五日に、本山町にオープンした町立の文学館である。大原が昨年なくなるまでずっとこの故郷の文学館をわがこととして、いつくしみ育てたことはよく知られている。
 高知自動車道の大豊インターを下り、吉野川に沿って走る。川を渡らずに、坂のある古い町に入っていくと、細い道の右手に白いすっきりした文学館の二階建ての建物が見えた。
 大原にふさわしい地味で、簡素な建物である。一階左手には大原の生涯や作品を生原稿や遺品、写真などでたどることができる展示室があった。土佐の儒者野中兼山が失脚したのち、娘の婉が幽閉生活の中に青春を埋めてしまう過程を細やかに描いた『婉という女』については独立した部屋があり、作品の背景をくわしく知ることができる。二階には大原の東京の家の書斎をそのまま移した部屋があり、執筆に使った机や椅子に腰かけてみることもできる。私は帰りに受付で「ふるさとの丘と川 大原富枝年譜」と朝日文芸文庫の「息にわがする」というエッセイ集などをもとめた。文学館には大原が生前にまだ見ぬ読者のために自署した初版本が取り置いてあって頒けてもらえるのである。展示を見た後に、大原のやさしさと強さを感じさせる筆で墨書した自署のある本を手に取ると余計に大原が身近に感じられるのがうれしかった。
 大原の随筆を読むと土佐嶺北地方の女性は細やかでやさしいという。本山の町では道ひとつ訊いてもなんとなく人気の温かさを感じた。帰りには、奧白髪山の麓の渓谷にある温泉につかって帰った。

本山大橋と帰全山
本山町は婉の父、野中兼山の旧領地であった。 吉野川が蛇行して半島のようになった先端の部分は帰全山(きぜんざん)と呼ばれ、 兼山の像と母 萬(まん)の墓がある。大原富枝は文学館オープン記念の色紙に 「吉野川の水やせて青春の日のはるけくもあるかな」と書いた。いつわらざる人。

奧白髪温泉 秘境!!(文学館から約30分)


野中兼山の母の墓碑
兼山の母萬の墓碑は兼山の親友山崎闇斉が揮毫。萬は、兼山が良友を家に招くことを喜び、手篤くもてなしたという。

本山町の風景