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2000年04月号 掲載 
西宇和郡最後の銭湯 清水湯でお別れ会
西宇和郡保内町

休業の貼り紙が残っていた。

赤煉瓦の煙突
開業の翌年建てられた。高さ19.8m。丸型は全国でもめずらしいものという。 基底部分直径が2.24m、先端部直径が1.06m。清水湯の句ではないが、保内に生れた俳人冨澤赤黄男の句に 「三日月よ けむりを吐かぬ 煙突(けむりだし)」「妻は湯に われには濃ゆき 冬夕焼」がある。
 平成十年十月から休業中だった保内町宮内清水町の清水湯が廃業し、住宅の新築にともなって建物が解体されることになった。三月五日に、三代目のご主人の中岡保さんや地元の町おこしグルーブ「保内大学」の人々によってお別れと見学の会が開かれたので出かけてみた。参加者は町内外から約五十人。『銭湯へ行こう』(TOTO出版)などの著書で知られる銭湯研究家の町田忍さんも東京から駆けつけ案内役を務めた。
 清水湯は、昭和十一年に中岡善四郎氏が開業。当時日本は泥沼の戦争に踏み込んでいく暗い時代ではあったが、長く続いた昭和恐慌が一息ついた時期で従業員二千人を超える東洋紡績川之石工場も操業中であり、保内町の人口は現在よりも多く、約一万五千人あった。
 以後、清水湯はこの場所で六十四年の年を刻み、住宅兼用の建物に縄のれんがかかったなつかしい風情や、街のそこここから高くあるいは低く見える煉瓦煙突は街の人々の原風景ともいえる存在になった。
「保内大学」の人たちはこれからも街の個性をかたちづくっている建物や風景に目を向け、失われるものは心にとどめ、長らえるものは、新しい街づくりに活かしていく決意である。

清水湯の古風なボイラー
この場所にあった木蝋工場がボイラーの余熱で工員用の風呂をわかしていた設備を譲り受けたもの。

小さな浴室。


お別れの会に参加した人たち。

日本一低いと町田忍さんが折り紙をつけた高さ約80cmの番台。

 
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