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1997年07月号 掲載 

建築文化週間'97 東京ウォッチング
 
 

「町を歩くときは、ひとりで静かに、ひっそりと歩かなければならない。町の風景の中に溶け込むように、ゆっくりと歩かなければならない。そのときはじめて、町はいままで隠していた懐かしい、優しい姿を見せてくれる。路地裏の向こうに沈んで行く夕日、放水路を吹き渡っていく風、橋の上に射し込んでくる朝の光 川本三郎」


東京諸聖徒教会会堂(昭和6年)
昭和20年4月13日の空襲でコンクリート構造物を除き焼失したが、復元された。
設計はJ・W・バーガミニ。
ガイダンスの場として借用。
 六月初めに開催された建築文化週間は今年で十一年目。建築の持つ、学術、技術、芸術の側面を広く一般社会に紹介し、建築文化の向上を図ることを目的に、日本建築学会が毎年、全国で開催しているものだ。私が参加したのは六月三日の東京ウォッチング「山の手の屋敷町、旧下屋敷の名残を歩く」-千石の町から護国寺へ・である。講師は、井上明久、陣内秀信、村上美奈子、藪野健の各氏。学生たちがボランティアで案内役や配付資料の作成を行った。人気のタウン・ウォッチングの参加者は、新聞などで公募の約七十人。顔ぶれは主婦が中心のようで、定年退職して悠々自適という初老の男性や外国からの留学生もいる。例年に比べて若い女性の姿が多いように感じた。今回のコースは東京「山の手の奥」とでもいうべき味わい深い町並みだった。坂の多い地形の中に、森鴎外が訪ねた当時の姿をよくとどめた洋館の旧津和野藩主亀井邸や木造三階建ての現役の蕎麦屋「進開屋」など見応えのある建物が次々と登場する。大塚の女子同潤会アパート等を見て、最後は護国寺へ。ニコライ堂や鹿鳴館、三井倶楽部など数々の名建築を設計し、日本人の妻とともに護国寺の墓地に眠るジョサイア・コンドルの墓に詣でて解散。約六キロを半日掛けて、あれこれ話しながら歩いた。


 私たちは、住んでいる町、毎日、歩いている町では、立ち止まって建物の姿や町並みの様子をじっくりと眺めることが少ない。東京の町を歩きながら、たまには自分たちの住む町の姿をしっかりと見つめ直したいものだと考えた。わが故郷にも、祖先たちが、誇りと気概をもって築き上げた町並みが、まだまだ健在である。仲間と歩くのもよいし、たまには見知らぬ町を歩くように、一人静かに歩くのもよい。

旧津和野藩主亀井茲明(かめい これあき)邸
推定明治17年築。我が国最初期の本格的洋風建築。現存するのは、かつての広大な邸宅の一部分。
森鴎外の主家で、鴎外も何度か訪れた。


伊勢五商店
米穀店、明治初めの建築

木造三階建ての蕎麦進開屋
佇まいが素晴らしい。

 
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