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2003年02月号 掲載
第22回 王子紀行(その四)
文/井上 明久

王子の音無橋昭和5年架橋。三連アーチ式橋脚のコンクリート橋。
 子規たち三人は、「田楽見ぬも亦風流なり」として、王子権現を出て滝野川に向かう。現在はこの辺りをもっぱら音無川と呼んでいるが、江戸時代からの有数な行楽地であった。川に向かって深い渓谷が切りこみ、緑豊かな別天地であったからである。とうの昔に見ることはできなくなったが、かつては弁天の滝だの、弁天の洞穴だのといった自然美があって、都塵にまみれた多くの人々の目を潤おした。そして江戸以来、近くの飛鳥山が桜の名所なら、滝野川沿い一帯は桜もそうだがとりわけ紅葉の名所として名高く、紅葉寺とも呼ばれる金剛寺や、その寺の脇に架かる紅葉橋を中心に、秋には辺りが赤く染まる景観の地である。いささか人の手が加わって人工的になったとはいえ、このことは今も生きつづけていて、春に秋に人々の目を楽しませてやまないのは嬉しいことだ。


滝野川の赤煉瓦酒造工場跡

王子神社
 三人が滝野川の岸を歩き始めた頃、八月半ばの日はまさに暮れんとしていた。そして、夏の一日が終ろうとするのを必死に止めようとするかの如く、短い命を惜しんで蝉が鳴きしきっていた。「不折子洞穴のほとりにて佇みて真景三四枚を写す。終りて渓頭の茶店にて憩ふ。十三日の月は対岸老樹の間に隠現す。山光水色模糊として燈火烟の如し。端無く翁と俳句を論ず。口に泡を吹き肩に山を聳えしむ。議論数時間に渉り弁舌山神を驚かす。不折子独り楓に倚りて写生す、聞かざる者の如し。」
 画家の目は歩いていても常に、そのものが最も美しく見える一点というものを探している。ものには確かにそうしたヴュー・ポイントというものがあって、建物にしろ風景にしろ静物や人物にしろ、その位置のその角度から見るのが一番美しいと思える瞬間がある。画家の中村不折はそんな恰好の場所を見つけたのだろう。それはちょうど洞穴のほとりで、早速に絵筆を走らせて写生を始める。ましてやその日は、子規が不折に向かって戯れとは言え、今日の遊びとして絵と俳句の腕競べをしようと提案していたのだから、不折もことさら張りきって絵に向かったに違いない。
 三、四枚の写生が仕上がった後、三人は茶店で休む。やがて月が登り、店に燈がともる。子規と鳴雪は俳句論を闘かわし始める。白髪三千丈式の誇張表現がかえって、若き二十七歳の子規と、翁とも呼ばれていた四十七歳の鳴雪との白熱した俳句談義の真摯さを感じさせる。新しき時代の新しき俳句を生み出さんとする情熱は、師である年下の子規にも、弟子である年上の鳴雪にも共通なもので、その溢れんばかりの直なる想いは、まさに「弁舌山神を驚かす」というばかりであったに違いない。そんな口角泡を飛ばす二人を横に、ひとり不折は何も聞こえていないかの如く平然と写生をつづけている。
  何度も繰り返すが、ここが画家のすごいとこで、また羨ましいとこで、隣りでガンガン喋ってようが絵筆をどんどん進ませることができる。いや、自らお喋りに加わりながら描くことさえできる。その点、文章を書くというのは何と不便で不自由で不都合なものか。

都電飛鳥山駅

音無川左岸高台にある王子神社の大銀杏
 「夜の更くるにおのれとおのれの声に驚かされ山を下りて帰路を飛鳥山下に取る。月色秋高く三人影を連ねて行く。路傍の小祠に憩ふ。こゝにて不折画を論ず。/見渡せば遠近濃淡天然の好画境なりと不折賞して已まず。我等画中に在りて往来するの思ひあり。」   さきほど二人からさんざっぱら俳句談義を聞かされた不折は、今度は俺の番だとばかりとうとうと絵画論をぶったのだろう。その意気や壮とすべしだ。そして、不折が熱く語る絵画論にふさわしい風景が、三人の目の前に展がっていたのだ。「我等画中に在りて往来するの思ひあり」というこの時の子規の心境こそ、画業にしろ、文業にしろ、表現を目指す者にとって至福の瞬間なのである。

 
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