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第64回 「東京の坊っちゃん」〈その6〉
文/井上 明久

- 高桐院 -
 「それはだね……」
 と小川さんが言いかけると、横からすかさず山嵐が割り込んで来る。図々しい奴だ。
 「それはだね、僕は小川さんに教わったんだよ」
 「何処で?」
 とおれが言うと、山嵐は何を当然なことをという顔付きをして答える。
 「無論、会津さね」
 「会津?」
 おれは吃驚(びっくり)した。江戸っ子の小川さんが東京を離れた事があるなんて、天から思ってもみなかった。もっとも、そういうおれだって、江戸っ子の癖に飛んだ了見で東京を離れ、アッという間に又舞い戻る羽目になったのだから。しかし、おれの場合は何も蚊(か)も親譲りの無鉄砲から来ている事だから、誰に文句の筋合いも無いが。
 「何だって又、会津なんぞに行かれたのですか」
 おれの小川さんへの質問に、又々、山嵐が武者狂(むさくる)しい毬栗(いがぐり)頭を突っ込んで来る。
 「なんぞとは何だ、なんぞとは……」
 小川さんは山嵐の故意(わざ)との高振(たかぶ)りをにこやかに受けながら、少し過去を懐かしむ様な調子でおれと山嵐に言った。
 「さあ……、どうしてと判然(はっきり)した理由があったのかどうか。今となってみると、いやあの頃でさえ確然(しっかり)と捕(とら)まえていたとは言えない。何だろうか、こう漠然(もやもや)とした鬱屈見た様な物に囚(とら)われていたのか、兎にも角にも東京には居られないという想いだった」
 この泰然自若たる小川さんにしてそんな昔があったのか、とおれは又吃驚(びっくり)した。
 「それはいつ頃の事だったのですか」
 叡山の悪僧面(づら)が性懲りもなく付け込んで来る。
 「無論、バリバリの出立てさあね、ねえ小川さん」
 「そうだね、今の君達と乙甲(おっつかっつ)の頃かな」
 「しかし……」
 と普段のおれの柄にもなく執拗に問いを続けた。
 「小川さん程の立派な方なら、如何(どん)な地位でも求めるままに得られたでしょうに……。どうして又、選(え)りに選(え)って会津なんぞに行かれたのですか」
 「この野郎、人が大人(おとな)しくしてりゃぁ図に乗りやがって、我が会津を事もあろうに二度三度(にどさんど)、七度八度(ななたびやたび)莫迦にしくさったな」
 「堀田君、君の東京弁もすっかり板に付いて来たじゃないか」
 と小川さんは山嵐に声をかけてから、おれに言った。
 「確かに仕事の口は幾つかあった。中には大分有利なものもあった。しかし、先刻(さっき)も言った様にどうにも東京を離れたくてね、仕様が無かった。ただ、一つだけ割と明確に言えるのは、ま、薩長いうものがね、あの当時の僕には我慢し切れなくなっていたのだろう。それで、我が同胞の会津へと向かったのではないか、と自分の心を外から忖度(そんたく)してみたりもするのだが」  「どうだ判ったか、このスットコドッコイのお調子江戸っ子野郎め。小川さん見た様な本物の江戸っ子はな、会津の何たるかをチャント理解しておられるんだ。同じ江戸っ子とは言い条(ながら)、矢ッ張り、小川さんと君とでは人間の格というものが大分違うな」  そんな事は初めっから判っていらあなとは思いつつ、山嵐なんかに面と向かって言われるのは何とも業腹(ごうはら)なものだ。そこでついつい厭味の一つも返したくなる。
 「おれにとって小川さんは死んだおやじの旧友だ。しかし、やまあ……いや、君にとって小川さんは教師だろ、先生だろ。ならば、小川さんではなくて小川先生と呼ぶのが礼儀だろ。それとも何か、東京では至極当然の事が会津では無理難題でもあるのか」
 嗚呼、山嵐とは半年振りの再会だというのに……。  
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