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2003年12月号 掲載
第32回 藍染川幻影(その八)
文/井上 明久
第三章 手取橋(つづき)

早朝の勝鬨橋
 それで、引越しをすることにした。いやね、もともと追分町は今度の作を仕上げるまでと決めていたのだ。我が家計にはいささか負担が大きすぎるのを承知で無理に借りたものだから。なるべく蝸牛の近くに身を置きたいと思い、天王寺町、桜木町、日暮里町とさんざ歩き廻り、上根岸町に実に適当な家を見つけた。家賃も今よりは大分手頃だ。もっとも、追分町と違って賄いは一切つかないのが。だから、これからは大いに食い歩きだ。金さんはもっともっと食う楽しみに貪欲にならねばいかん。食って食って胃弱なんか食い殺してしまわねばいかん。いいかい。
 女房よりも妾の数が多いという根岸の里はなかなかに気に入った。風情あるいいところだ。歩く場所もたんとある。その内、旦那が滅多に来なくて暇を持て余している若いお妾さんと懇(ねんご)ろにでもなろうかしら。妬くな、金さん。
 とにかく、本郷の喧騒とは大分違ってここはいたって閑静だ。人間も大分のんびりしている。落ち着いて作に集中できるだろう。そうそう、家のすぐ近くを藍染川に似た小さいが趣のある川が流れているのも、ここを気に入った理由の一つだ。その音無川(おとなしがわ)を少し下(くだ)ると、御行(おぎょう)の松という大層立派な松の木が不動尊の前に立っている。いけねえ、江戸っ子の金さんを前に飛んだ釈迦に説法だ。明後日の月末には移るから、月が変わったら早速に御尊顔を見せに遊びにきてくれ。
 ところで、逢初橋はその後、如何(いかが)か。いくら鈍い金さんでもいい加減何か判明はしたろうに。この根岸の里で拝聴するに似つかわしい艶聞を耳を長くして御待ち申し上げる。頓首

    金さまへ          常より
     *      *      *
 拝  復
 まずは御玉稿の完成、慶賀の至りと心から御慶び申し上げます。蛙や熊ならぬ人間の常さんの冬籠りがこれでやっと終わったという訳ですね。もっとも、蛙や熊がその間(かん)ずっと眠っていたのと違って、人間の常さんはかえって普段よりも寝ないでいたのだから、実にもう見上げたもんだよ屋根屋の褌ってなもんで。それも常さんの褌ときた日にゃあ、並みのものじゃござんせん。白無垢の表に、裏は花色木綿という代物よ。ねえ、常さん。
 それにしても蝸牛の先生、果たして何と仰有るか。大いなる楽しみといささかの不安、だね。だが、常さんのことだ、僕は安心している。常さんの才気と活力があれば、すべては常さんの前に頭を下げる。日頃の常さんを見ていると、そう思えてならない。僕などには到底適いそうにない。
 だから御忠告通り、常さんの健啖ぶりを見習って、まずは大いに喰らうことから始めねばいけないと考えている。どうも江戸っ子は食が細くていけないと、そういつまでも言われるのも癪だしね。しかし、冬籠りを終えたと思ったらもう次の場所に移動するなんざ、蛙や熊と一般で常さんも実に人間離れがしている。流石、流石。いや、これは常さんを誉めているんですよ、念の為。
  そう言えば、常さんとは根岸を歩いたことがなかったかしら。僕は根岸にはいくばくかの因縁を持っています。その因縁には多少の色も着いていますが、常さんが望むような艶聞とはほど遠いと思ってください。何せ十五、六歳の頃の話ですから。
 僕に養父母の存在があることは僅かながら話したと思いますが、あれは僕が八歳(やっつ)か九歳(ここのつ)の頃、この養父母の間が不仲となり、しばらく法律上や徳義上の諍いが続きました。その間、生家に引き取られたり、別々になった後の養父の家に戻ったり、今度は養父が再婚するので出戻った養母の実家に身を置いたりと、大人たちの事情に導かれて幼い体を右したり左したりしました。恥かしい話です。
 養父はかねてより関係のあった女性と再婚して移り住んだのが、下谷は根岸でした。この再婚相手には、僕より二つほど歳上になるお勢さんという連れっ子があった。月に一度僕は養父の家を訪れる義務を大人たちの約束によって負わされていた。が、それをそれほどには嫌がっていなかったのは、いや、むしろ養母の目を盗んで決められた日以外にも根岸を訪れたりしたのは、子供ごころにお勢さんに逢える楽しみがあったからに違いない。もっとも、どこまでそれを自覚していたかは甚だ心許無いことではあったが。ともかく、根岸の養父宅を訪れるのが少しも重荷ではなかったことだけは確かである。

 
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