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2003年06月号 掲載
第26回 藍染川幻影(その二)
文/井上 明久
第一章 逢初橋(つづき)

東京都北区西ヶ原 旧古河庭園 ジョサイア・コンドルによる本館の下に何十種類もの バラが植えられたテラス式の洋風庭園がある。
 「そう言ったって、誰もが常さんのようにいくもんじゃないよ」
 「いや、金さんはなまじ学問ができるもんだから余計な苦労をするんだ。科学者にもなりたい、哲学もやってみたい、建築にも大いに興味がある、漢文学のようなものなら文学も悪くない、だろ。しかもなろうと思えば、これから少し努力すればいずれにだってなれる素質はある。それが貴公を優柔不断にしてるんだ。その点、僕などを見てみたまえ、さっぱりとしてるもんだ」
 「そういう君だって、文学にいくか政治家になるか、ずいぶんと悩んでいたじゃないか」
 「ああ、悩んでいた。しかし、今はもう悩んでいない。今は文学だ。これから先、いつなんどき政治だと言い張るかはわからない。が、とにかく今は文学だ」
 Mはきっぱりそう言った。Mにそう決心させたのは、三ヵ月ほど前に本郷の古本屋の店頭でたまたま手にした一編の小説だった。その本の作者は蝸牛といい、まだMやNと同い歳の若者だったが、すでに評判となる作品を何作か発表していて、文壇の一角に確たる地位を築いている早熟の天才だった。早熟においても、天才においても、滅多なことでは負けを知らないMは、その作品の出来に真摯に感心し、そこに崇敬すべき才能を率直に認めたが、それと同時に自分ならこれと拮抗しうる物を作ることができるという技癢をも抱かずにはおれなかった。そして、無論その根底にあったのは、華やかな脚光を浴びる蝸牛が自分と同い歳であるということだった。
 Mは早速にそれまで暮らしていた真砂町の寮をひとり出ると、そろそろ暮も近づこうかという慌しい時期に駒込追分町の下宿屋の離屋に移ったのである。寮は郷里を同じくする者ばかりが集まるいたって快適な場所であり、費用のほとんどをかつての藩公が負担していたので貧苦生の身には極めて有難いものだった。そんなMが物心両面において敢えて苦難の場に自らを投げ遺ったのは、ひとえに小説を作るための孤独な時間と静寂な空間を欲したからである。三年前に発表されM自身は今頃になってその存在と実際に出会った蝸牛の処女作には、Mをしてそのような果断を実行させる強い力があったのだ。
 新しい住所に変わったMは、郷里の者も学校の友もすべて面会を謝絶して創作に打ち込んだ。まだつきあって年月は浅いとはいえ、そしていつも兄貴風を吹かせて風上に立っている様子を見せつけながらも、誰に対してよりも深い友愛と畏敬を感じているNに対してすら、こちらから連絡するまではどうか御遠慮願いたいというはがきを出したくらいだった。Nからは丁重な返信が来て、どうか存分に御力を発揮して良果を勝ち得てほしいと結ばれていた。
 それから約一月(ひとつき)半、Mは好きな散歩も控えてほとんど下宿を出ることもなく一心不乱に創作に没入した。なにぶん初めてのことであり、思うに任せぬ連続ではあったが、蝸牛の処女作には負けぬという思い一筋で無理矢理に自分を前へ押し進めた。その結果、自分なりに何とか全体の形を作り上げることはできた。あとは、画家が最後に陰影の筆を入れて奥行を出すように、あるいは彫刻家が仕上げに鑿を加えてより立体感を強めるように、細部を点検し手を加えていけばいいと思うところまで辿り着いた。


東京都北区西ヶ原 無量寺
「この寺の美しさは、ちょっと比類がない。 小振りだが実に均整のとれた姿の本堂、石畳の真ん中に置かれた石灯籠……」 (「東京二時間ウォーキング」都電荒川線編より)
 そこで、最後の仕上げに入る前に少し時間を置くべきだという判断と、下宿の者と挨拶をする以外に言葉らしい言葉を交わしていない寂しさから、MはNにはがきを出した。この間、Mは誰よりもNと逢いたかったし、話をしたかった。早速にNはMの下宿に駆けつけてきてくれ、まだ寒さの残る陽気も構わずに二人して外へ出ることになったのである。
 「常さん、少し痩せたね」
 言われたMは無精髭の生えた顎を右手で撫でながら、それに答える。
 「うん、そうかもしれない。何せ、下宿屋の飯を食って座わっているだけの毎日だったからね。それにちっとも御天道様に当たらなかったもんで、顔色が妙に生っ白くなってしまった。それで大方痩せて見えるんだろう」
 「生(なま)っ白くと来たね。常さんも大方江戸っ子らしく見えるぜ」
 「冷やかしちゃいけないよ。言文一致に関しちゃ、金さんはおっ師匠(しよ)さんだからね。こいつばっかりは我々田舎者にはなかなかもって骨が折れるよ」

 
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