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2002年01月号 掲載

 
オアハカ メキシコ南部山岳地帯 
関 洋人 (大洲市在住)

遺蹟の丘
 一九九〇年の正月元旦、午後二時半、大学生のK君は飛行機酔いで嘔吐して苦しんでいたが、われわれ一行四人はとにかく無事にオアハカに到着した。
 ピリャエルサルモからオアハカまで、飛行機の乗客は我々の他にはたった八人だった。ここオアハカ州は前年一月から内戦状態が続いているお隣のチアバス州ともどもメキシコで最もインディヘナの血と文化が濃い土地柄として知られている。オアハカ州も、一九七四年春からの二年間にわたって、メキシコ革命の英雄サパタの再来と言われたルシオ・カべーニャス・バリエントスを中心とした武装蜂起の舞台となった。ホテルにチェック・イン後すぐにオアハカ郊外の丘陵地にあるサポテカ文明代表的遺蹟モンテ・アルパンへ。丘へ登るにつれて、人口二十万を超える、緑の少ないオアハカの街並みが眼下に広がってくる。丘陵の上には大規模な神殿群、天文台、球技場などが点在している。陽射しは強いのだが、標高一五六三メートルの高地である上に空気が乾燥しているため、日陰ではセーターが欲しくなる程度のひんやりした気候。


遺蹟の丘
 濃い青の澄みきった空、強い陽射しがつくる輪郭のくっきりとした影が遺蹟のコントラストをより鮮明なものにしている。神殿など遺蹟の建造物の階段の上り下りを繰り返し、建物の下につくられた墓地に入った。遺蹟の中をうろうろと歩き廻っていると、巨大な岩に奇妙な人間の側面像が彫られているのが目につく。マヤの遺蹟では彫像といえば雨の神チャックだが、ここではこの″踊る人″の石像群が有名だ。灰褐色の岩に彫られた″踊る人″は全て裸の男性で、手足をくねらせている姿がさも踊っているかのように見える。しかし、研究者たちは、これらの像は、その特徴である閉じられた眼、歪められた手足、開かれた口などから、死者の像ではないかと推測している。そして、その死者達はモンテ・アルパンの支配者に殺された他部族の首長達であろうというのである。
 有名な遺蹟なのに、ウシュマル同様、土産物を売っている場所は一ヶ所だけ、それも数人がこの地方の産物である黒い肌の陶器を控え目に商っているだけだった。陽が山陰に沈み、空気が肌に冷たく感じられ始める頃われわれはホテルにむかってモンテ・アルパンをあとにした。
(つづく)

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