2005年01月号 掲載
関 洋人 (大洲市在住)
『GETZ/GILBERTO』のCD。
「イパネマの娘」も第1曲目に入っている。
ギターを弾いているのがジョアン・ジルベルト。
ポン・ジ・アースカルから降り、リオの……と言うよりブラジルの流行の先端を行くイパネマへ。ここイパネマは、ボサノバの代表曲として有名な“Garota de Ipanema(イパネマの娘)”などで日本でもよく知られている。ボサノバは、1950年代の終わりに、このイパネマで、トム・ジョビン(アントニオ・カルロス・ジョビン)とヴィニシウス・ジ・モライス、それにジョアン・ジルベルトという3人の鬼才が運命的に出会ったことによって生まれたと言われる。
温厚な人柄で、ブラジルの豊かな自然をこよなく愛した トム・ジョビンは、ジョージ・ガーシュインやレノン、マッカートニーらと肩を並べる20世紀を代表した大作曲家である。
ヴィニシウス・ジ・モライスは、現役の外交官時代から音楽の世界にのめり込み、品行(特に酒)に問題ありとして外務省をクビになった。彼は惚れっぽい性格で、9度の結婚を繰り返し、別れるときは、いつも歯ブラシ一本(偉い!!)のみを持って家を出たという逸話を残している。
ジョアン・ジルベルトは夜と昼を完全に逆転させた生活を送る奇人として知られた。リハーサルや、本番をすっぽかす常習犯で、何日も浴室に籠もりきりになってボサノバ・ビートを完成させたという。この類い希な個性を持ち合わせた3人が絡み合って、ボサノバの興隆があった。
この3人が、日本でも有名なスタン・ゲッツと“ゲッツ・ジルベルト”というアルバムを録音した際、ブラジル音楽がイマイチ飲み込めてなかったスタン・ゲッツに対してジョアンは「おいトム。このグリンゴ(中南米人の間で使われる米国人に対する俗称)におまえは馬鹿だって言ってくれよ!」と言い放った。それを温厚なジョビンは「スタン、ジョアンはあなたとレコーディングすることが夢だったと言ってるよ」と通訳したという。このアルバムのレコーディングには他にも胃が痛くなるような裏話がたくさん伝えられているという。ヴィニシウスは1980年に、そして、トム・ジョビンも1994年12月8日にこの世を去った。今は、ジョアン・ジルベルトひとり、イパネマの西隣、レブロン地区でホテル住まいをしていて、毎晩11時にいつも同じレストランから昼食の出前を取り寄せているという。しかし彼の音楽に対する情熱は今だに熱く、一昨年、昨年と2年連続して日本公演を行い大好評を博した。そしてこの3人の溜まり場であった店は、今でもイパネマ海岸から1本奥に入った通りの角に“Garota de Ipanema”という名のカフェテリアとして健在だ。
(つづく)
イパネマの娘の舞台となったカフェテリア。今は名前も“Garota de Ipanema”
有名な「イパネマの娘」は、この店(当時はヴェローゾと云った)
の常連だったトム・ジョビンとヴィニシウスが、
母親に言いつけられて、
よくこの店にタバコを買いに来たエロイーザという15歳の娘をモデルにして作った曲である。
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