過去の連載記事
同じ年の連載記事
2006年10月号 掲載
第 93 回 直良(なおら)信夫先生の家
 
星月菴 
10972-63-7149  定休日/火曜・水曜

庭から肱川が見える。対岸の護岸工事が進み、少し開けた。

松花堂弁当予約した方がよい。精進料理のコースもある。

直良信夫顕彰記念館 
直良先生の自伝に、岩波同時代ライブラリー『学問への情熱 明石原人発見者の歩んだ道』があり、明石原人の真相と、先生の学問の大きさについては最近出た春成秀爾氏の『考古学はどう検証したか 考古学・人類学と社会』(学生社)が詳しい。

野上弥生子文学館の界隈
 臼杵の野上弥生子の生家の辺りから歩き始め、二王座の細い道を登って行った。思いがけず、路傍の古い井戸の先に、直良信夫先生の小さな生家があり、記念館になっていた。先生の肖像写真と略歴が土間に飾られていて、戸には、今秋上演される『明石原人』という劇のポスターが貼ってあった。
 直良先生は「明石原人」で世に知られ、松本清張の『石の骨』という小説のモデルにもなった。先生をモデルにした清張の小説は、読みやすく、一面の真実を剔抉したものではあるが、先生の実像とはほど遠い。あくまで清張の小説である。
 私は昔、早稲田で直良先生の授業を聴いたことがあった。ある時、先生は、ご自分の大きく高い鼻を指さしながら、異国の船が日本でもいち早く来航した故郷臼杵の人々の風貌について懐かしそうに語られた。その先生の温容を今も忘れることができない。先生には臼杵で送った幼少時代の四季の思い出をゆたかに綴った『子供の歳時記』(葦牙書房)という著書もある。
 私は、先生の生家跡を過ぎ、突き当たりを右に上って、街並みを一望できる高台に出た。左手に見える龍原寺の三重塔や街並みの瓦の連なりをしばらく眺め、高台の隅にある星月菴に入った。近くのお寺がやっている精進料理の店である。庭を眺めることのできる席で、松花堂弁当をいただく。気取り過ぎず、量も充分で、味もよかった。
 臼杵は、時代に忘れ去られたかのような町である。しかし、歩いていて、これほど、楽しみの多い町は少ない。冬のふぐをはじめ、食べものもいい。大友宗麟の時代の海城の跡や、後の稲葉氏の藩政時代の武家屋敷など、歴史を伝える街並みの中に、野上弥生子文学館や、中国陶磁を歴史の流れに沿ってじっくりと見ることの出来る市立中国陶瓷美術館など、珠玉のような施設がひっそりとある。愛媛からなら、宇和島運輸のフェリーで八幡浜から手軽に行けるのも好都合だ。
 
Copyright (C) T.N. All Rights Reserved.
1997-2012