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1998年05月号 掲載 
美名瀬(みなせ)橋
―富澤赤黄男(かきお)の風景 
 新興俳句の俳人富澤赤黄男は、明治三十五年七月十四日、愛媛県西宇和郡保内町川之石に生まれた。父は医師であった。


美名瀬橋。赤黄男が川之石の人たちと俳句をつくった結社も「美名瀬吟社」といった。
 「鮮麗にして悲愴な作品群、優雅な陰翳(いんえい)と苦い諷刺をひそませた作品群、殊(こと)に『天の狼』の中のそれは、新興俳句の到達した、俳諧詞華の極致と評してよかろう。三鬼(※西東)の機知と幻想、茅舎(※川端)の耽美述志(たんびじゅつし)、これらを併せたかの句境が赤黄男にはある」と歌人塚本邦雄が絶賛する赤黄男の第一句集に故郷の風景を詠んだ句がある。

 南国のこの早熟の青貝よ
 潮すずし錨は肱をたてて睡る
 青貝に月の匂いののこる朝
 波耀(て)れば蟹はしづかに眸(め)をつむる
 ゆく船へ蟹はかひなき手をあぐる

 赤黄男の句の世界はもともと絵画的要素がきわめて強いといわれる。生家跡にほど近い宮内川の河口に架かる美名瀬橋の上に立ち、川之石湾の風景や旧東洋紡工場の煉瓦造りなどを眺めてみた。川面をわたる初夏の風にあたって、強い潮の匂いを嗅いでいると、赤黄男の一句一句が、心に沁みこんでくるようだ。
 赤黄男は結婚の翌年、昭和五年の五月に大阪の勤めを辞めて故郷の川之石に帰り、何年かを過ごした。赤黄男が近隣の人々と「美名瀬吟社」のちの「浮巣会」という会で、本名正三にちなんだ“蕉左右(しょうぞう)”という俳号で俳句をつくったのはその頃のことであった。
 
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