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2001年03月号 掲載 

長崎ぶらぶら散歩 
 
 

十人町観音堂の入口

長崎鍛冶屋町「銀嶺」のランプのコレクション。

崇福寺、ランタン祭の提灯。

 先月、北九州への帰路、彫刻家のケース・オーウェンスさんと長崎に廻った。出島で日蘭修好四百年を記念して一年の間開催されているケースさんの個展を見た後、役所に行くケースさんと別れて長崎の町を一人で歩いた。風頭山の楠本イネや二宮敬作の墓所(前に訪れたときは顕彰碑と間違えて素通りしてしまった)に参り、古書肆大正堂に寄った。在野の長崎学者故宮田安さんの主著『長崎崇福寺論攷』をもとめた。せっかくだから崇福寺に行き隠元や即非の墓に参り、すばらしい寺院建築を見た。道を戻って、ランプのコレクションで知られる古いレストラン銀嶺でコーヒーを飲んで小休止した後、再び歩き始める。

崇福寺第一峰門。国宝。
開山即非禅師が書いた扁額『第一峰』によりこの名で呼ばれる。古くは唐門、海天門などと呼ばれた。1644年の創建。1695年中国寧波より舶載した切り組み木材で改築。

皓台寺風頭山山麓にある二宮敬作の墓
シーボルトの娘楠本イネが建てた。
 町はどこも月末から始まるランタン祭りの準備に忙しい。唐人町の吊鐘のある薬屋の前を通って館内町の方へ坂を上がった。ポルトガル人が作った町の遺構であるというが路地の奧に小さな坂があり、さらにその坂がまた違う坂道に続いている。市場があり、観音堂だとか、天后堂という中国風のお堂がある。古い銭湯がある。歩いていて飽きることのない町である。坂を上がりきったあたりからでたらめに路地を通ってまた新地の中華街に戻り、今度はカステラの福砂屋の本店を過ぎて、花月から長崎丸山花街跡のあたりを歩いた。
 こちらも小さな路地と坂の連続である。花月のあたりからは、なかにし礼の『長崎ぶらぶら節』の舞台をあるく散策コースが出来ていて、親切な「長崎ぶらぶら節散策マップ」というのもある。(丸山オランダ坂の入口にある料亭青柳ではぶらぶら散歩の観光客に五百円でお抹茶と和菓子を出してくれ、この地図がもらえる。)どこをどうあるいたのかはっきりしないが思案橋の電車通りの方に出て、「マツヤ万年筆病院」というすごい名前の万年筆専門店を覗いて、宿にもどった。
 わずか二日で北九州から長崎をまわって帰るというあわただしい旅であったが、今回もとめた宮田安さんの本で、長崎から雪广という中国僧が松山四代藩主松平定直によって御幸寺山麓にある萬歳山千秋寺に招かれ、後に海月山梅津寺をつくったことなどを初めて知った。小学生のころから海水浴場でおなじみの梅津寺の名は雪广和尚の故郷中国梅津の地名によるものであった。松山に長く住んでいたことがあるのに恥ずかしいことだが、縁無き衆生はかくのごとしである。伊予細見で特集してみた。


ポルトガル人がつくった町

市場の奥に銭湯が、その奧に坂が続く。館内町。

古い方のオランダ坂へ続く丸山の道。


マツヤ万年筆病院。
全国に顧客を持つ

長崎料理「吉宗」の昔ながらの佇まい。

シーボルトの娘楠本イネさんにちなむおイネさんウォークが縁で長崎出島で開催された日蘭修好四百年記念。長崎出島ケース・オーウェンス(宇和町在住)彫刻展。

 
※ 「長崎ぶらぶら節散策マップ」のお問い合わせは
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