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2005年11月号 掲載 

末光家住宅」 見学
 
 


 卯之町の取材に来るという友人からメールが届いた。西予市宇和町卯之町の中町の町並みにある「末光家住宅」見学会に参加し、ボランティアガイドに案内して貰うという。  私は、近くに住んでいながら、昨年十一月から公開が始まったという西予市指定文化財「末光家住宅」の見学会を知らず、折角の機会なので、一緒に参加させてもらうことにしたが、全く、東京に住む人に教えられて見学会に参加したわけで、宇和の全国的な注目度の高さに驚いた。  江戸中期から昭和初期の建物が建ち並ぶ、中町では、現在、国の重要伝統的建造物群(重伝建)選定を目指す動きが高まっている。ここ数年、行政の補助を受けながら少しずつ建物の修復が続けられて来たが、今回の末光邸は一切、行政の補助に頼らず、全額私費で修復という全く異例な形で行われたそうだ。末光邸は赤煉瓦の塀があったりして、町並みの中でも一際目立つ、風格のある建物である。明和七(一七七〇)年に建てられた後、明治二十八(一八九五)年に改築される等、何度か手が加えられているが、ほぼ建築時の姿を伝えているという。末光家は宇和清沢村の庄屋で、宝永六(一七〇九)年に宇和町の中町に移った。大正初期まで酒造業、昭和十二年まで醤油醸造業を営み、十八代の千代太郎氏は、愛媛県商工会議所連合会会頭や伊予銀行頭取も務めたという名家である。現存の建物は間口八間(約十六メートル)奥行き六、五間(約十三メートル)、通りに面して店と座敷が並列した、間口の広い、豪壮なものである。「末光家住宅」は中町の他の町家に間取りや屋根などの形態、デザイン面で大きく影響を与えた建物でもあるそうだ。


建物の建築様式や修復技術、めずらしい蛇腹式すり戸や、土間と中店を
仕切る回転式の格子戸などについての説明に耳を傾ける参加者たち。
 いままで、行政の補助を受け、限られた予算で行われた修復が重伝建選定に向けて行われた調査報告書には、やや真実性に欠ける憾みがあると指摘されていた。今回は志の高い、地域の修復技術を高める高い質と内容の修復がなされたということであった。(以上当日の見学会で頂いた資料による)
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