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1999年06月号 掲載 
『石原 吉郎(いしはら よしろう)のシベリア』
 
落合 東朗(おちあい はるろう) 著
 (論創社刊 定価 本体2,500円+税) 


 この本の著者、落合氏は終戦から一九四九年八月までシベリアに抑留された体験を持つ。それは二十歳から二十三歳までの四年間で、青春の真只中の時期を、酷寒の地シベリアで捕虜としての厳しい労働を強いられたことになる。この体験は、それ以前の氏のすべてを反転させるほどに決定的なものであり、それ以後の氏の人生を重く、暗く、厳しく、徹底的に支配していくことになる。そしてこれまで氏は、そうした氏自身の体験を深く掘りさげる作品を書く一方で、シベリアと深く関わった人間を探求して描いてきた。それは、白樺詩人のエセーニンであり、シベリアの原野で日本人の技術者魂を証明した冶金技術者の東方田中尉であり、戦争体験を風化させずシベリア・シリーズ描き続けた画家の香月泰男であり、ソ連を亡命した映画監督のアンドレイ・タルコフスキーである。


 こうした落合氏の一連の作品活動の対象として、詩人の石原吉郎が採りあげられるのは全く必然的なことである。戦後詩を代表する詩人のひとりである石原こそ、その人間性においても、その詩作品の主題においても、どこまでもシベリアの抑留体験に根ざしていて、生涯その一点を凝視しつづけた人間だからである。抑留期間の長さだけで体験の苛酷さを比較することは無論できないし、本来それは比較するようなものではなくて個々の人間にとってはいずれもが絶対的な悲惨さであることも事実だが、それにしても石原が味わった三十歳から三十八歳までの八年間に及ぶシベリア体験は、消しようにも消せない刺青のように石原の皮膚それ自体に刻印されてしまうほど言語を絶するものだったに違いない。その言語を絶するものを、ひとつずつ言語に変えていく作業――それこそが詩人・石原吉郎が石原の戦後(それは一般的な一九四五年八月十五日以降を指すのではなく、石原がやっと帰国を許された一九五三年十二月一日以降を指す)を賭けてひたすらに追い求めたものである。


 本書は、二十四歳で応召してから復員するまでに十四年を要した石原吉郎の生涯と作品をたどりながら、戦争という国家間の暴力が派生的に生み出す“捕虜、抑留”という、ある意味では戦争それ自体よりも非人間的な暴力について、作者自身の体験をも重ね合せるようにして書き進められる。ここにあるのは紛れもなく一つの悲劇である。それも救いようもなく大きな一つの悲劇である。しかし、そのような悲劇の中からも詩人というものは言葉を紡ぎ、織り、時間という風雪にも朽ちることのない堅牢な作品を作りあげようとするのだ。そうした必死な祈りにも等しい意志の力に、強く撃たれずにはいられない。
 また本書には、藪野健氏による装画が本文中に数多く挿入されている。決して安易な気分では読み進められない本書の内容と、藪野氏のあたたかで人間的な線描が実にいいバランス的効果をあげていて、この本をより充実したものに仕上げている。

井上 明久(作家)


挿絵/藪野 健


石原吉郎
大阪歩兵第37連隊で、昭和15年秋。 ここで、北方情報要員第1期生として、鹿野武一と出合う。

投稿誌を読む。
昭和45年9月(石原吉郎の写真は2点とも 『現代詩読本石原吉郎』思潮社1978年7月1日刊より)

 
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