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1999年08月号 掲載 
『森 有正 エッセー集成』
 

 (ちくま学芸文庫(全5巻) 定価 本体一、五〇〇円+税) (1、2巻)



 ちくま学芸文庫から、『森有正エッセー集成』(全5巻)というシリーズが刊行され始めた。処女作の「バビロンの流れのほとりにて」から最晩年の「三十年という歳月」まで、森有正独自の創作的ジャンルとしてのエッセーのすべてが収録される。長いこと、森有正の文章をまとめて読むことが難しい出版事情だったので、このことは大きな朗報である。とりわけ、森有正を知らない若い世代に読んでもらいたいので、文庫という簡便な形態は最適である。とは言うものの学芸文庫という性格上、部数の関係で単行本並みの定価なのは少々イタイが、“大いなるものとの出会い”を期して是非とも手にとってほしい。
 あれこれと説明を加える前に、まず森有正の文章を引用する。様々な試練と長い苦闘の末に、処女作「バビロンの流れのほとりにて」はこんな風に書き出される。その文章は、パリに渡って三年が経過した一九五三年十月八日の日付が付けられている。 「一つの生涯というものは、その過程を営む、生命の稚い日に、すでに、その本質において、残るところなく、露われているのではないだろうか。僕は現在を反省し、また幼年時代を回顧するとき、そう信ぜざるをえない。この確からしい事柄は、悲痛であると同時に、限りなく慰めに充ちている。君はこのことをどう考えるだろうか。(‥‥)たくさんの問題を背負って僕は旅に立つ。この旅は、本当に、いつ果てるともしれない。ただ僕は、稚い日から、僕の中に露われていたであろう僕自身の運命に、自分自ら撞着し、そこに深く立つ日まで、止まらないだろう。」
 森有正は一九一一年に東京で生まれた。明治二十二年(一八八九年)に暗殺された、時の文部大臣、森有礼はその祖父に当たる。三十代が終ろうとする一九五〇年、パリに渡り、以後時折の短い滞在での帰国はあるものの、一九七六年の死まで、二十六年間にわたりパリで暮らした。
 日本で東大の教壇に立っていた時期、パスカルやデカルト、あるいはドストエフスキーなどについての鋭い論考ですでに評価は高かったが、森有正を決定的に“森有正”たらしめたのは、パリ滞在数年の後に発表された一連のエッセーによってである。知性と感性、思索と抒情、昂揚と沈潜 ――そうした相異なるものが微妙に織合わされた文章は、実に豊かな旋律と心地良い韻律を奏でる音楽となって読むものを幸福感へと誘う。けれど(とすぐに付け加えねばならないが)、そうした幸福感の裏側にあるものは、自分の“宿命”を担い、それを徹底的に成就せんとする苛烈なまでの意志であることを忘れてはならない。
「詩人の住む町」 薮野 健画
 「人間が軽薄である限り、何をしても、何を書いても、どんな立派に見える仕事を完成しても、どんな立派に見える人間になっても、それは虚偽にすぎないのだ。その人は水の枯れた泉のようなもので、そこからは光の波も射し出さず、他の光の波と交錯して、美しい輝きを発することもないのだ。自分の中の軽薄さを殺しつくすこと。そんなことできるものかどうか知らない。その反証ばかりを僕は毎日見ているのだから。それでも進んでゆかなければなならない。」
 時代が、人間が、ますますその軽薄さを肥大化させている今、森有正の文章はいよいよ大きな意味を持ち始めている。

井上 明久(作家)

 
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