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2003年02月号 掲載 
古本をインターネットで買う
 
 

「芭蕉・去来」
 本との出会いをもとめて、書棚を眺めながら古書店をめぐる楽しみにはすて難いものがある。東京や、京都などだけでなく、旅先の小さな町の古書店をのぞくのも無論楽しい。
 悲しいことに私の住む田舎の小さな町には一軒の古書店もない。近頃ではだんだんインターネツトの古書店ネットでよく本をもとめるようになった。好きな著者の名前を入力すると、書名と在庫のある古書店がずらっと画面に並ぶ。注文すれば、一週間も経たないうちに本が届く。支払いは代引きでも、郵便振替でもよく、具合がすこぶるいい。活字離れのご時世のおかげか、価格も新本より格段に安い。
 最近、買ったものを、二つ。まず、潁原退蔵の『芭蕉・去来』昭和十六年刊創元選書。千円だった。背は焼けていて、紙は藁半紙のような感じだ。中に「薄塚-去来と長崎」という随筆がおさめられている。潁原退蔵は長崎で少年時代の数年を送り、長崎街道の難所、日見峠をおとずれ、そこに立つ「君が手もまじるなるべし花薄」という去来の留別吟を刻んだ句碑によって初めて向井去来の名をおぼえた。俳文学の研究者となった潁原退蔵は蕉門十哲の一人たる去来の名よりも、少年の日の思い出を尊いものとして「私は今もあの薄塚のほとりに寝ころんで、白い雲を眺めて居た自分を思い出すのである」と記している。潁原退蔵は詩人伊藤静雄の恩師で、伊藤の卒論「子規の俳論」を激賞推挽した人でもある。

星名家墓所がある宇和島市吉田町の大乗寺。梅が咲いていた。

星名秦四才と家族 / 「星名秦の生涯」

吉田藩士の祖父幸旦 / 母方の祖父卯之町の末光三郎
 二つ目は「星名秦の生涯」。これは自費出版の追懐録。星名秦は明治三十七年米国テキサス州ヒューストン生まれ。同志社総長を務めた人。満鉄勤務時代にはジーゼル特急アジア号を開発し、大連機関区長時代に無事故走行距離三百二十万キロを達成した。古い話だが、昭和三年京都帝国大学ラグビー部が早稲田大学を破って全国制覇したときのキャプテンで名センター。たくみなサイドステップやカット・スルーでゲインして、絶妙のラスト・パスをウィングに送ったという。ニュージーランドや豪州のラグビー資料をいち早く翻訳紹介した日本ラグビーの創始者とも言うべき人で、体格体力に劣る日本人が外国人に勝つための戦術を創造し、早稲田の大西鉄之祐に強い影響を与えた。同志社大学ラグビー部の育ての親とも言われる。星名の父謙一郎は伊予吉田藩三万石士族星名幸旦の長子で、明治三十年代にハワイを経て米国テキサスへ、さらに南米ブラジル、サンパウロで日本人植民地を開拓。一時帰国した後、妻ヒサと秦を残して単身渡米し、ついに帰国せず。母ヒサは伊予卯之町の末光家の出身。親族が出版された追懐録だが、たまたまネツトで目に付き、吉田町と宇和町にルーツを持つ星名に関心を持って取り寄せてみた。立派な造本で内容も興味深いが千円。児童文学者草下英明の「逃げたオオゾウムシ」という追悼エッセイが掲載されている。晩年の星名が、軽井沢の別荘仲間である草下の小学生の娘と昆虫採集の盟友となり、オオゾウムシを見せる約束を律儀に果たす話は泣かせる。
 私は「日本の古本屋さん」というサーチエンジンをよく使う。検索後の手続きもきわめて行き届いていて、一度購入すると次からはボタン一つ、クリックするともう書き込みが不必要なフォーマットが自動的に現れる。あまり簡単過ぎて、家人には、評判がきわめて悪い。
 
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