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2000年04月号 掲載 
『漱石の東京(II)』
漱石編1 
武田 勝彦 著
 (早稲田大学出版部刊 本体2,800円+税) 


 「漱石の東京(II)」は、三年前に刊行された『漱石の東京』の続編にあたる。本書は、前著で対象となった初期短篇から『それから』までの後をうけて、『門』『彼岸過迄』『行人』『こゝろ』『道草』『明暗』の後期六作品が俎上にあげられる。  漱石にはさまざまな読み方がある。そして、そのいろいろな読み方ができるところに漱石の広さと深さがある。ストーリーを楽しむこともできる。思わず声に出して音読してみたくなる文体の魅力もある。近代日本の誕生期における西欧との軋轢に苦しむ知識人の姿を見ることもできる。男と女の間に魂の触れ合いは存在するのかという問いもある。そうした多彩な読み方へと誘う漱石のテクストの中から、徹頭徹尾、東京という町の姿を読み取ろうとするのが、『漱石の東京』及び「漱石の東京(II)」である。

夏目漱石
大正元年9月 京橋にて

大正四年十月 早稲田南町書斎南縁にて
(鳥居赫雄撮影)
 実際、明治から現在までの作家の中で、漱石ほどに東京を描いた人間は他にいない。まるで東京という町の座付作者であるかの如く、漱石は東京を見つめ、愛し、批評し、描いた。漱石の東京はまだ江戸の面影が色濃く残る東京だった。けれども、同時にまたそれらが猛烈な早さで壊され、新しいものが次々と生み出される東京でもあった。そうした東京の新と旧、明と暗、美と醜を、漱石は文学という言語表現の中に徹底的に書き遺したのである。  本書の著者、武田勝彦は昭和四年、東京の小石川で生まれている。小石川といえば『それから』をはじめとして漱石の作品世界の主要な舞台の一つであり、そんな地縁の濃さが本書の強みにもなっている。そして、武田氏の少年期から青年期にかけては、明治の東京を生きた人達はまだ周囲に大勢いたろうし、東京の地形、町名、家並み、交通手段(主に都電)などにおいて、漱石の作品世界につながる部分がある程度生き続けていたことも、本書の叙述に厚みを与えている原因だろう。  漱石の東京の描写には大きな特徴がある。それは、ある部分では徹底して具体的に濃密に、他の部分ではどこか謎めいて抽象的に含蓄深く、と描き分けている点である。だからこそ漱石の東京は、平面的でベタッとしたものではなく、立体的にクッキリとした形を読む者に感じさせるのだ。  本書の最大の読みどころは、そのように漱石があからさまに実名を与えなかった部分を、考古学者のように掘り起こし、名探偵のように推理し解決するところにある。漱石のテクストを真摯に読み解くことと当時の関連文献や地図とのさまざまな照合を通して、一つの真実が浮かび上がってくるプロセスは、まるで秀れたミステリ小説を読むような興奮と感動を味わうことができる。  とりわけ圧巻なのが、漱石未刊の大作『明暗』を扱った最終章である。もし漱石があと十年命を長らえて、『明暗』を完成させた後にどのような作品を書いたかを想像するのは、近代日本文学の仮説の一つとして大きな関心が持たれるが(因みに、僕個人としては、もう一度『草枕』のような、駘蕩として融通無碍な世界へと立ち戻ったのではないかと推量する)、残念ながら『明暗』は中絶のまま遺された。そして、中絶ゆえに『明暗』には多くの謎が秘められているが、その一つとして、『明暗』のテスクト中にはそれまでの漱石作品と比べて驚くほど東京の地名が書き込まれていないということがある。特に、主要な舞台の地名は明かされていない。

挿画/根津教会 藪野 健
 ここに武田探偵の大いなる腕のふるい甲斐が発揮される。これまで一般的には、主人公の津田の叔父、藤井の家の在処は早稲田界隈とされていたのだが、著者はそれが小石川の大日坂上であることを鮮やかに立証してみせる。そして、その過程を通して当時の東京の家並みや風景や空気感までが髣髴として感じられる。漱石の作品を読むことは、明治の東京へのタイム・トラベルでもあるのだ。

井上 明久(作家)

 
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