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読みたい本:
2000年01月号 掲載 
『のちの思いに』
 
辻邦生 著
 (飛鳥新社 定価本体1,700円+税) 


 一昨年の十月四日に日本経済新聞の日曜版に、連載の第一回「大学に入ったころ」が掲載され、その後、毎週日曜日の朝を楽しみに待ち受けて連載の続きを読み進めていた時、誰がこの本がこのような形で刊行されようと思ったことだろう。著者である辻さんは勿論言うまでもなく、辻さんに代わって「あとがき」を書くお立場になられた奥さまの佐保子さんも、担当の編集者も、そして数多くの読者の一人一人も、それは思いもしないことだった。
 昨年の七月二十九日、辻さんは急逝された。何回分かの原稿が書きためられてあったため、亡くなられた後もしばらく日曜版の連載が続けられ、それを読みながら、どちらが夢でどちらが現なのか、不思議な想いをした。そして、こんなに哀しい想いで辻さんの文章を読むのは初めてのことだった。辻さんの文章を読みながら、それを書いた辻さんがもうこの世に生きていらっしゃらないのだと意識することは初めての経験だった。あの頃は辻さんの御時間さえ許せば、高輪の御自宅で、軽井沢の別荘で、試写室で、レストランで、ビアホールで、パリで、イタリアで、御一緒の時間をすごすことが可能であったのに……。
 五十二回を予定していた連載をわずかあと二回残して終わることになった『のちの思いに』は、辻さんが昭和二十四年に東京大学に入学した時から、昭和三十六年にパリ留学から帰国し新進作家として活躍を始めるまでを、単なる回想記としてではなく、フイクションを織り交ぜながら一つの「作品」へと創造したものである。小説家・辻は最後の一瞬まで小説家そのものであった、と深く納得させられる。

「作家のいる町で」藪野 健画
 そして、こうして一冊にまとめられたものを改めて一気に通読すると、連載時とはまた異なった感慨を持つことにもなる。例えば、第一回の部分に次のような一節がある。「ここでは筆者は生者と死者をあえて厳密に区別しないつもりである。この生者と死者が混沌と入り交じっている世界こそ、実をいえば筆者が自由に書くことを願っている世界なのである。遠い記憶のなかに、今も鮮やかな映像や身振りで生きつづけている人物を、単純に故人として消してしまうことは、到底できないからである」。そうなのだ、そのとおりなのだ、と思わざるを得ない。生者と死者が混沌と入り交じっている世界こそが、文学の世界なのだから。そして、辻さんこそ、その文学の世界を生ききり、今もなお生きている人なのだから。
 ただ、それでもやはり涙を流してしまう瞬問がある。 森有正に触れた箇所で、「私たちが先生の話がおかしくてあまりよく笑うので、 『辻さんは八十歳になったら、きっと全然笑わなくなりますよ』と、真面目な顔で言われたことがある。 そう言えば、このところあまり大笑いすることがなくなったのは、先生の予言が的中したためかもしれない」とある。体調がすぐれない日が時折りあって、それが辻さんから以前の笑いを奪っていたのかもしれない。けれど、笑わなくてもいいから八十歳まで生きてほしかった。享年、七十三歳だった。

井上 明久(作家)

 
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