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1999年12月号 掲載 
『制 作』
 
エミール・ゾラ作 清水正和訳
 (岩波文庫 上・下 各700円+税) 


 古今の秀れた小説は、大抵、その出出(でた)しの数行でいきなり読者の心を掴んでしまうものだ。どう始めても全く自由で、何の制約もないだけに、それだけ苦心もあるし、だから結果として魅力的なものができあがる。名作の冒頭の部分だけを集めたアンソロジーの本があれば、絶対に面白いのだが。例えば、こんな風なのは、どうお感じになるだろう?
 「クロードは市役所(オテル・ド・ヴィル)の前を歩いていた。そのとき、大時計の鐘が午前二時を打った。と同時に雷鳴がとどろきわたった。
 七月の、熱気がさめないこの真夜中、彼は中央市場(レ・アール)のあたりを無我の境地で歩き廻ってきたのだった。夜のパリを愛し、芸術家らしい感興にひたってぶらつくのが好きな彼だった。
 急に、大粒の雨がはげしく降ってきた。彼はあわてて駆け出した。グレーヴ河岸を夢中に突っ走った。ルイ・フィリップ橋まで来たとき、さすがに息切れして立ち止まった。」
 夏の真夜中、人気(ひとけ)のないパリをさまよい歩く芸術家らしいクロードという男、オテル・ド・ヴィル、レ・アール、グレーヴ河岸、ルイ・フィリップ橋(固有名詞をちりばめることによって舞台空間が現実性と共有性を増す)、突然の雷鳴とそれにつづく大粒の雨――簡潔な描写の連続の中に実にくっきりとした動きの変化が見てとれる。そして、この不意の雷雨はこの男に何らかの出来事をもたらすのではないかという予感を抱かせられる。事実、この後、クロードはびしょ濡れになった女と出逢い、そこから運命の悲劇が始まっていくことになるのだ。
 高村光太郎の抄訳(一九一〇)から九十年、井上勇訳(一九二二)から八十年近くの歳月が経ち、今度、清水正和の新訳が岩波文庫から出たエミール・ゾラの『制作』は、ひとりの非凡な画家の作品創造への苦闘を通して、十九世紀後半の近代絵画革新運動そのものをダイナミックに描いた作品である。そして、画家クロードの友人として登場する小説家サンドーズは作者ゾラ自身を投影したもので、その意味では自伝的な色彩の濃い作品でもある。バルザックの『人間喜劇』シリーズに対抗して書き始めた『ルゴン=マッカール』叢書の一冊としては、主題的にも内容的にも異色であり、それだけに興味深い面白さを持っている。
 主人公のクロードには、少年時代をすごした南仏のエクス・アン・プロヴァンスで十五歳の時に出会い、それ以来、大親友となる一つ年上のポール。セザンヌの人物像が大きく影を落としていると言われるが、この作品の完成・出版は一つの悲劇をもたらすことにもなる。というのも、この本を贈られたセザンヌは、簡単な礼状を返信したのを最後に、ゾラとの交友を絶ってしまうのだ。二人はそれ以後、交信はおろか、顔を合わすこともなかったという。かくも長く深い友情にピリオドを打たせる、本質的で決定的で絶対的な何かをゾラは書いたのだ。書かないではいられなかったのだ。

井上 明久(作家)

 
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