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第60回 「東京の坊っちゃん」〈その2〉
文/井上 明久


 半年ほどの街鉄の技手勤めを上役の技師を撲って辞めた後、半月ばかりは何もせず盆槍(ぼんやり)と暮らした。矢ッ張り、清(きよ)の死の後おれは正直少しどうにかしていたのだろう。そうと判切気づいてはいなかったが、力の源を喪った様な妙に浮輪(ふわ)々々した心持の毎日だった。何ともおれらしくない。
 おれは何事によらず単純に出来ている。だから一つの事に長く思い患うなんて芸当は大の苦手だ。そのおれが清の死ばかりはどうにもあっさりとは片付かないでいる。らしくないこと甚だしい。
 だがそういつまで浮邏(ふわ)々々している訳にもいかない。第一、金の底が尽きた。おれは働くことは嫌いではない。凝(じ)っとしているよりは余ッ程いい。ただ、どうにも短気がいけない。辛棒が足りない。それに親譲りの無鉄砲が輪をかけている。
 おれが自分の無鉄砲を親譲りだと言うのは、何も言い訳ではない。言い訳は大の嫌いだ。何故おれの無鉄砲が親譲りなのかはいつか話す時が来るだろう。今はまだ言いたくない。それは清の死とも関わりがあることで、おれにはまだ心の整理というものが付いていないからだ。
 兎にも角にも次の仕事を見つけなければと思った。そしてその為にはある人の所に挨拶に行く必要があった。そのある人とはおれを街鉄に周旋してくれた人のことである。おれはその人の折角の周旋を僅か半年ほどで無駄にしてしまった。その人の顔に泥を塗ったも同然だ。
 本当は早速にも謝りに行かねばならなかった。謝る時は素ッ気り切ッ張り謝る、それが日頃のおれの信念だ。ところがこの時ばかりは柄になくなかなか腰が重くて動けなかった。それでついつい半月ばかり呆(ほう)けて過ごしてしまった。
 春まだ浅い一日、神楽坂の五十鈴(いすず)で甘納豆と最中を買い、牛込矢来町(うすごめやらうちょう)の御宅を訪ねた。その人は胃弱でいつも食後にタカヂヤスターゼを飲んでいるくせに大の甘党で、こういうものに全く目が無いのだ。奥さんの目と口が怖いので日頃はなるべく控え目にしているらしいのだが、他からの到来物であれば堂々と食べられるのでまるで小供の様な顔付きをして受け取るのが可笑しい。
 その人は小川欽四郎という。何でもおやじの旧友とのことだ。どうして彼様(あん)なおやじに斯様(こん)な立派な友人が出来たのか、どうにも不思議でならない。おれ見た様な男が言うのも何だが、人間の出来がまるで違う。おやじがカンカラカンの癇兵衛なら、この人はキンキラキンの金兵衛だ。
 おれは歳を食ってからの口五月蠅(うるさ)いおやじしか知らない。そしてそのおやじは人の顔さえ見れば、貴様は駄目だ駄目だと口癖の様に言う男だった。けれどそんなおやじも或いは若い頃には些(いささ)かなりとも人間(おとこ)らしい所があったのだろうか。
 おやじの酒は余り性質(たち)の良くない酒だったが、ホンの時折り機嫌のいい酔いもあった。そんな時にこの人の名前が口から出ることがあった。おやじはこの人のことを欽さんと呼んだ。あばたの欽さんと言うこともあった。そして、アバキンとも言った。
 小川さんは小供の時に罹った天然痘のせいで、顔に薄すらとあばたの跡が残っている。本人は表向き平静を装っているが内心は相当に気にして、誰も見てない時はよく鏡と睨(にら)めっ子(こ)をしているという。これは小川さんが席を外(はず)した時の奥さんの言(げん)だ。書斎を出た後、奥さんはそっと息を潜めて唐紙の間から覗き見したのだとのこと。奥さんの口振りだと他にも小川さんの秘密を知ってるらしい。
 だから女は険呑で面妖なのだ。どうにも信用し難い生きものだ。殊に美しい女はいけない。この点では残念ながらまだ他人様(ひとさま)に自慢出来る程の体験はないが、四国にいた時にその一端を垣間見た思いがした。マドンナだか小旦那だか、どっちにしても小癪な思い出だ。  
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