過去の連載記事
同じ年の連載記事
1996年10月号 掲載

 
サバドールという名を持つ街 ブラジル・バイヤ州 
関 洋人 (大洲市在住)

サルバドール郊外アバティエ池で水汲みを手伝う少年と洗濯をする少女。明るく働き者の子ども達


 時の流れとともにブラジル繁栄の中心は、ここノルデスチ(ブラジル北東部をブラジルではこう呼ぶ)バイア州から、南部のリオやサンパウロに移り、過剰な人口を抱えたこの土地はブラジル最大の国内移民供給地となった。現在、リオやサンパウロの貧民街に住む人々の大半がこの地方の出身者「ノルデスチーノ」である。また、環境破壊で問題になっているアマゾン流域の乱開発の最前線にいる人々もノルデスチーノが多い。そして、アマゾン流域の水銀汚染の元凶たるガリンペイロ(金採掘人)もまた、しかりである。要は、誰もが、貧しい故に何だってやらざるを得ないのだ。
 今では、かつての先進地域バイアの出身者を意味するバイアーノと言う言葉が「田舎者」という、いくぶん軽蔑を含んだ意味をも合わせ持つようになってしまった。
 しかし、経済以外の面ではどうか?面白いのがブラジル音楽界の現状だ。ここ数年、サルバドールのカーニバルを舞台に、カルリーニョス・ブラウンを始めとした大勢のバイアーノのミュージシャンたちがブラジル音楽界を席巻し、今や「田舎者」が、旧来のリオ勢を圧倒した状況なのである。このバイア勢の意気軒昂たる様子に、私は、奴隷制時代の最中に、サルバドールからほど近い場所に約百年にわたって存続した逃亡奴隷達による事実上の独立国、「パルマーレス共和国」の面影をさえ見るのである。
 また、ブラジルの歌に唱われる土地は、バイアとリオが双璧であるが、映画『黒いオルフェ』の原作者でもあり、『イパネマの娘』など多くの名曲の作詩者にして名物外交官だった故ヴィニシウス・ジ・モライスもバイアの風土を愛した。彼はサルバドール郊外、イタポアン岬付近の浜辺の別荘に滞在し、多くの作品の構想を練ったという。落ちぶれたとはいえ、今なおバイアは、ブラジル人にとっては心の故郷なのである。
(了)



 ■アカラジェ売り
 当地バイアで忘れてならないのが、バイアの風物詩ともいえる、屋台のアカラジェ売りだ。アカラジェとは、いわばバイア地方の自然食ハンバーガー。ファリーニャ(タロイモの粉)をこねて揚げたものを切り、中に具として海老、カボチャ、魚、牛の臓物などをお好みで挟み、ピメンタ(辛子)をかけて食べる。これが、けっこういける!以前この地に進出したあのマクドナルドは、アカラジェとの競争に敗北して撤退の憂き目にあったと聞いたが、真偽のほどは定かではない。アカラジェ売りは皆、白一色のバイア衣装に身を包み、派手な首飾りをした黒人女性たちである。彼女らは皆、例外なくアフリカ古来のアニミズムとカソリックの混合宗教である、カンドンブレの信者で、屋台の一隅には、必ずカンドンブレのお守り一式が置かれている。


 
Copyright (C) H.SEKI. All Rights Reserved.
1996-2007