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2002年11月号 掲載

 
イグアス 国境地帯の旅 
関 洋人 (大洲市在住)

プエルト・イグアスの目抜き通り
 イグアスの滝の水量が平常の時にくらべて極端に少ない理由には、ちょうど乾期から雨期へ移行する時期にあたったこともあるが、森林伐採による保水量低下の影響があるという。ガイド・ブックの記述に従って、滝の水しぶきを防ぐために持参した簡易カッパは無用の長物だった。
 遊歩道に沿って、すぐ脇の水面から赤く錆びた鉄骨の残骸が伴走するように顔を出している。何かと思ったら、これは先代の遊歩道のなれの果てだった。何年か前の増水時に滝から押し寄せる水圧で押し潰されたものがそのまま放置されているのだ。南米屈指の観光地であるが人影はまばら。土産物を売る店もなく、うるさい歌謡曲も流れていないが、公衆便所だけは整備してあった。あまりきれいではないが水洗。トイレの建物の周囲に茂る樹々にはツリスドリの大きな巣が、一本あたり四十個から五十個ほどぶら下がっている。しばらくふらついた後、アルゼンチン側の街、プエルト・イグアスへ。街路は、一応モザイク舗装されているが、土埃にまみれて赤茶色に染まっている。アルゼンチンは、革製品が安いので、ドクトルたちは衣料品店をひやかして、粘り腰の値切りショッピングに入っている。現在では、この南米の田舎街でも日本人はRICO(お金持ち)に等しいという構図が浸透しているので、まずふっかけられると思って間違いない。だから、言い値で買うことは、自分の損になるだけでなく、相場を押し上げて、結果的に物価がつり上がるので、他の外国人など観光客だけでなく地元民にも迷惑がかかるといわれている。ちなみにブラジルの夜の世界では、日本人が相場を押し上げる原動力になっていると専らの評判である。我がドクトルの値切りに対する粘り腰は旅の回数を重ねるごとに磨きがかかり、ボリビアのラパスのセーター屋では「セニョールほどしぶとく値切る日本人は初めてだ」との栄えある言葉を頂戴したこともある。
 プエルト・イグアスのメインストリートに面した歩道におかれたベンチに腰掛けて休んでいたら、網袋に入ったニンニクを手からぶら下げた七~八歳の少女が近寄ってきた。買ってくれと言う。旅先でニンニクを買っても仕方がないので、ことわるのだが、決してあきらめない。他に客が見つからなかったのか、そうとうしつこい。業を煮やしたドクトルが、思わず日本語で「しっ、しっ」と言って追い払う仕草をしてしまった。ところが少女は急にニッコリとして手に持っていたニンニクの袋をドクトルに押しつけて手渡そうとする。愚かなことに、我々はこの時点で『SiSi』とはスペイン語で『Yes』の意味であることにまったく気づいていなかったのである。拒絶の姿勢を崩さないドクトルに少女の表情は曇った。彼女が怒るのは当然なのだが無知とはおそろしい。われわれは、ニンニク少女の恨みっぽい眼差しを背に、再び国境を越えてブラジル側の街フォス・ド・イグアスに入った。
(つづく)

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