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2002年09月号 掲載

 
イグアス 国境地帯の旅 
関 洋人 (大洲市在住)

アエロ・メヒコ202便
 くだんの画廊から一旦ホテルに帰り、あたりが暗くなった頃に、みんな揃って街に食事に出かけた。  オアハカ最後の夜ということで、夕食はソカロに面した高級レストラン『エル・アサード・バスコ』。私がオアハカ・ビーフのモレ・ネグロ(黒いソース)添えというのを注文すると、H老もドクトルも私に従ったが、K君だけがただ一人エビ料理を注文した。  結果を言うとK君が正解。私たちのオアハカビーフは薄いゴム草履を食べているような食感で、ソースもまったく我々の嗜好にあわなかった。四苦八苦して薄くかたい肉を噛み切り、やっとの思いで嚥みこんだ。  しかし、デザートには大きなメロンが一人に半個ずつ出たし、オアハカ屈指の高級レストランだけあって、楽団が演奏していた。  食事の後、また四人でソカロを歩いた。昼間に比べるとずいぶん露店の数が増えている。木製の色彩の豊かな人形を並べた店、鍋の蓋や薬缶など身近な道具を揃えた店もある。K君はスプレーペンキを使って絵を描きながら直売している「スプレー画家」の店を一目見て、そこから動かなくなった。この芸術家がスプレーを吹き付けて絵を仕上げていく様子をじっと眺めている。えらく気に入ったようだ。彼は一点約千円ほどする絵を二点購入した。


マリア・テレジア
のカレンダー
 翌、正月三日、午前十一時にはアエロ・メヒコ二〇二便でメキシコ・シティーに向かう。朝食はもうすっかりお馴染みになった『Marea Teresa』へ。ゆっくりと朝食を食べ、支払いを済ませて店を出るときに「また、明日も来いよ」と主人が声をかけてきた。私が「今日、これからメキシコ・シティーへ行くんだ」と言うと、彼は残念そうな表情をして「ちょっと待て」と言いながら急いで店の奥に入った。ゴソゴソと音を立てながら何かを探している様子。しばらくすると『Marea Teresa』の新年用の広告カレンダーをわれわれの人数分つかんで現れた。彼が我々にくれたそのカレンダーは今も私の家のドアに貼られたままになっている。何かの折りに、たまたまそのカレンダーが目にはいると、私はオアハカや彼の顔などを思い出すのてある。
『Marea Teresa』を後にして、ほんのわずかの時間だが、オアハカ最後の散歩を楽しんだ。店開きの準備に忙しい露店をひやかし、メリダで買ったメキシコ名物のプロレスの覆面をまた買ってしまった。
 オアハカの空港では搭乗機には滑走路の脇を歩いて行かねばならない。アエロ・メヒコ二〇二便に搭乗するために滑走路を歩いていると、遠くにモンテアルパンの丘が見えた。これでしみじみオアハカともお別れだなあと感傷的になる。空港ビルからあの蛇腹のような通路を通って機内に入るのとは大違い。田舎の空港には風情がある。
 先月書いた、帰国後四年たって届いて画廊からの案内状『Marea Teresa』の気のいい親爺……。オアハカは私にすこぶるよい印象を残している。再び訪れたい街である。
(つづく)

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