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2005年10月号 掲載

 
レシフェ(ブラジル共和国) 
関 洋人 (大洲市在住)

小高い丘のシセロ神父の像
 ジュウアゼイロ・ド・ノルチに向かう機内の中で、たまたま座席に棄ててあった新聞の特集記事を見て盛り上がる。ブラジルの州別貧乏度ランキングとでもいう内容だが、どの指標を見ても友人とヘジーナが住むマラニョン州が最悪となっている。例えばトイレのない家庭が全ブラジル平均では二十五%だが、マラニョン州では七十二%。ゴミ収集の行われない家庭が同様に平均二十二%に対して六十八%といった具合。さて、機がジュアゼイロ・ド・ノルチ上空に近づくと小高い丘の上に巨大なシセロ神父の像が見えてくる。シセロ神父は数々の奇蹟を起こした神父として、ブラジル全土でよく知られた人である。その奇蹟(現時点ではバチカンはそれを認めていない……。)を信じる人々があっという間にシセロ神父の住むこの地に流入し、荒野に掘っ立て小屋を建てて住み着いた。そうして出来上がったのがこの人口二十万のジュアゼイロ・ド・ノルチの街なのだ。
 この街は今でもブラジル最大の宗教都市であり、シセロ神父がその全てであるといっても言い過ぎではない。シセロ神父は一九三四年に亡くなったが、死ぬ日まで市長を務め、この街の属するセアラ州の副知事も兼ねていた。神父はまた、彼と同じ時代に生きたブラジルで誰一人知らぬ人のないカンガセイロ(強いて言えば、匪賊のようなもの。一八七〇年から一九四〇年の約七十年間ここノルデスチで跳梁跋扈した)のランペオンと親交があり、お互いに利用しあっていた。ランペオンは何と八百人も人を殺したが、庶民の間では今なお義賊として人気が高い。シセロ神父は二十世紀初め、この地でのいわば宗教的、政治的、軍事的支配者だったわけだ。現在も街には至る所にシセロ神父の名が冠せられている。到着後、空港から市街地まで時速百キロで飛ばす危険極まりないタクシーに乗り、顔をひきつらせ、足をつっぱらせたまま、なんとか無事ホテルへ到着。これもシセロ神父の御利益か?

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