過去の連載記事
同じ年の連載記事




第7回 長屋門の中の幼稚園
― 八幡浜市日土(ひづち) 
 
 秋の深まった快晴の日、何度訪れても驚きと感動が尽きることのない幼稚園を尋ねた。

 不思議な建物
 最初に日土幼稚園を訪れたのは、松村正恒設計の日土小学校を見た帰りのことであった。
 ふと、左手の山の麓に立つ不思議な建物が目に入った。古びた洋風の木造モルタル塗りの建物でかなり大きい。正面の外壁はほとんどがツタで覆われ、ツタがない部分は下地の板が露出している。ちょっと見ると廃屋のようであり、建物の周囲も木が繁り放題になっている。逆光で見ると陰鬱な雰囲気だ。しかし、形がなんともいえず美しい。    
 喜木川にかかる太正橋という小さな橋の前の煙草屋の前で車を止め、店の女の人に「あの建物はなんですか」と尋ねた。女の人はあっさり「病院です」と答えた。その答え方は、もう1度聞き直すのがはばかられるほど、「当然でしょう」という感じのものだった。
 煙草屋の前に車を置かせてもらい、橋を渡った。細い坂道を登り、玄関のポーチへみちびく、洗い出しの美しい階段を上がると、人の声がする。病院は現役だった。驚く私の頬を心地よい風が吹き抜けていった。
 幼稚園があった
 ポーチに立って前に広がる風景を眺めていた。左手には、宏壮な長屋門のあるお屋敷が見える。階段を下り、何気なく長屋門の前に行ってみると、日土幼稚園という古風な看板が掛かっている。
 えっ幼稚園。長屋門の中に入ってみて、ほんとうに驚いた。山につつまれた屋敷の中を幼い子供たちが歓声をあげながら走り回っているのである。一瞬、ウェンディやピーターパンの世界に迷い込んだような気分にとらえられてしまった。
 左手に豪壮な母屋がある。教頭の清水佐和子先生にお会いした。古い写真を見せていただき、病院と幼稚園の歴史をおうかがいする幸運に恵まれた。
 先ほどの病院をやっておられるのは佐和子先生のご主人で、この幼稚園の清水資明園長だった。昭和4年に資明先生の祖父清水仲治郎氏が、キリスト教による幼児教育を志し、自邸の1部を開放して幼稚園をつくられた。大正12年にここで病院を始めたのも仲治郎氏である。
 清水家は、もともと京都の清水谷という公家の家柄だが、応仁の乱の戦火に遭い、宇和の西園寺家を頼って都を離れた。この近辺で何度か住む場所を移した後、安永3(1774)年にこの場所で酒をつくっていた池田という人の株を買い、酒造りを始めたのだそうだ。
 家屋敷は多少改造されているが、ほとんど当時のまま。ということは、幼稚園は江戸時代の建物なのである。母屋と長屋門の上の部屋が保育室。味噌や醤油の倉庫がホールだ。園庭の奥の山すそに、すべり台が設けられている。2本の巨木の間から母屋をめがけて滑べり下りる豪快なすべり台である。何か思い出になるものをと昭和30年に作られたものだ。
 台所には昔のままのかまどがある。毎年のお正月、園児たちのお餅つきの餅米はかまどで炊く。
 今年の園児は41人。「昔とくらべて子供たちはどうですか」と佐和子先生に聞いてみた。にっこり笑った先生は「かわいいのは、変わらんわい」と答えられた。
 訪れるたび、こんなすばらしい幼稚園がまたとあるだろうかと思ってしまう。

Copyright (C) TAKASHI NINOMIYA. All Rights Reserved.
1996-2012


古風な看板
それぞれの写真をクリックすると
大きくなります

昭和30年に作られたすべり台。2本の巨木の間から滑り下りる現代のピーターパンやウェンディたち。

ポーチにみちびく美しい階段

職員室には、大名時計が。清水佐和子先生。

清水医院。大正12年の建築当時。八幡浜教会の久保光冶牧師は、金山出石寺に向かう途中、この病院を見て「田圃の中に、白い鶴が降り立ったような建物」と伝道に立ち寄ったという。

建築した日土の大工さん

創立者の清水仲治郎氏は、毎年地域のお年寄りを幼稚園に招いた。

母屋の庭園。伊達の殿様もこの屋敷を訪れた。

昭和5年3月、当時の園児たち。

木造、江戸時代の建築の図書室。

帰りのバスを待つ子供たち