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第116回 石畳紀行
牛の峰参詣記 
 
 久しぶりに内子町石畳に出かけた。「隠れキリシタン」の遺址を訪ね、旧双海町との間に聳える標高898メートルの牛の峰に登り、帰りに河内神社に参拝した。

石畳街道
 よく晴れて、寒さがもどった1月の半ば過ぎの午前9時、内子の友人と八日市の町並みで待ち合わせて車で石畳に向かった。宮の下堰を過ぎ、田丸橋を右に見ながら、麓川にそって、ところどころ一車線になる曲がりくねった道を進む。河内のあたりで道が川を渡ったところで車を止めた。この近くにある隠れキリシタンの遺物を友人が見せてくれるという。道を少し戻って、橋のたもとの犬がつながれた民家の庭先から旧道に入った。少し先の左手に小さなお堂が建っていた。このお堂の中のお大師さまは、隠れキリシタンの遺物と言われているそうだ。お堂の中をうかがうと、お大師さまは、赤い前垂れを掛けておられた。友人が左肩の下に十字架が刻まれているのだと教えてくれなければ、近在で見かける大師像と少しも変わったところはない。
 最近、野辺に佇む小さな石仏や五輪の塔までを持ち去る輩がいるという。人知れぬ場所にある隠れキリシタンの遺物などはとくに被害に遭いやすいので普段は、どのお堂も施錠されるようになったそうだ。

石畳の水車小屋
 再び川沿いの県道を行き、左右に棚田の広がる集落を眺めながら進む。満穂郵便局の手前で道標に従って右に曲がり、登り加減になった道を行く。少し先の左手に茅葺きの林業農家を建築家吉田桂二の設計で町営宿泊施設に再生した「石畳の宿」がある。何年か前に子供と一緒に泊まったことがあった。地元の主婦たちの運営で気持ちのよいもてなしがあった。
 棚田の広がる谷を右手に見おろしながら、1キロほどさらに登る。牛の峰への登り口は左の谷の突き当たりで、水車小屋の公園のあたりである。橋の手前左手にある水車小屋の駐車場に車を止めた。つららの下がった水車の写真を撮ってから、道路の向側に渡り谷川に沿って、下流の方に少し下る。谷川が小さな滝となって落ちる辺りに、もう一つ、少し年季の入った小さな水車小屋がある。この水車小屋が、最初に石畳の地元の若い人たちによって自力で作られたものだという。木々に囲まれた水車小屋の脇に立って、水が落ちる音を聞く。いつ来ても、気持ちがせいせいしてくる。
 内子の中でも、石畳地域は、とりわけ専業農家と、兼業農家ではあっても自家農業からの収入を主とする農家が多く、また過疎と高齢化が特に進んでいる地域であるという。農と地域に対する深い思いを共有し、地域の暮らしを守りながら、次の世代に石畳の自然と生活文化や歴史を受け継いでいこうという地元の若い人たちが、最初に建てたこの小さな水車小屋が、行政を動かし、地元と協働する形で公園の整備が行われたそうだ。毎年の11月3日には「石畳水車まつり」が行われ多くの人出があるという。

牛の峰へ
 公園のトイレの手前にある、牛の峰への道標に従って、左手の谷から山に入る。少し入ったところに頂上まで21丁(1丁は約109メートル強。60間。21丁は約2.3キロということになる。)の石の道標がある。1丁が何メートルかその時はわからなかった。が、その先の道筋の1丁毎に小さな石仏の道標があったから、体でその距離を思い知ることになった。
 水車小屋や、草むした棚田を右手に見ながら、しばらく行くと、桧の植林の中に入る。一旦離れた谷川がすぐ道のそばに近づいてくる。間伐が行き届いているようで、それほど暗くはない。谷川の河床が大きな石の1枚岩になっていて、その上を滑るように水が流れている辺りを過ぎると、すこし登りがきつくなる。
 左手の斜面にある苔の蒸した大きな岩を割って木の根が生えだしている。その、少し先で、川を渡り、道は櫟林の中に入る。ひっそりと佇む、あと13丁の仏さまを見ながらどんどん登る。1度林道を横切り、再び向側の急な上り道に取り付く。左手に水源地の建物を見て、一段ときつくなった道を、さらに登りつめたところで、もう1度谷川を渡る。ここからは、比較的登りも穏やかになり、松林の中を通る快適な道となる。
 あと、3丁。このあたりでここ2、3ヶ月の暮らし向きのせいか、息が荒くなり、脚がやや疲れてきた。友人たちはどんどん先に進んでいるが、私は、しばらくあと3丁の仏さまの前で休ませていただくことにした。
 左手の木々の間から石畳や、遠い山々がうっすらと見える。昔、お祭りの時にはこの道を上る人の群れが続いたというが、確かに、人々の踏み跡を感じさせられる道である。汗が引き、呼吸が落ち着いた頃合いを見計らって、再び歩き始める。右に左に曲がって上る松林の道を進む。あと2丁の仏さまを過ぎて上りきるとまた林道に突きあたった。林道に出た所にあと1丁の仏さまがある。向側の手摺りのある最後の1丁を登り掛けたら、上から友人が心配して降りてきた。「大丈夫です。」と上に向かって声をかけながら、少しピッチをあげる。再び、上がり掛けた息を、大きく吸って上り切った。
 内子側の頂上の地蔵堂にまず、賽したのち、双海側の地蔵堂に廻る。日陰の地面を踏むと、霜柱がさくさくと音を立てる。手水鉢の水も厚く凍りついたままである。立派な牛の峰地蔵の碑があり、少し先にある鐘楼で鐘をついた。
 海の方に向かって進むと、山側に向かって座った石仏がある。海神に遠慮されて海を背にしているそうだ。双海側の地蔵堂に賽して、見晴らしのよい場所に出た。晴れ渡った空の下、正面に瀬戸内海、右手には道後平野が一望できる。振り返って見上げた地蔵堂は素朴なつくりであるが、屋根は御影石の細長い石瓦で葺かれていた。風がことのほか強いのであろう。快晴の今日も、海から吹き上げてくる風が冷たい。何日か前に降った雪がまだ残っていた。
 少し、双海側に下りると、パラグライダーの人達が滑降する草の斜面がある。弁当を広げようとしたが、あまりに寒い。内子側に戻り、地蔵堂の先の日当たりのよい場所で昼にした。
 下り道ははやい。しかし、情けないことに途中で膝がふらつき、谷川を渡るときに片足を流れに突っ込んでしまった。ふらつく足元に用心しながら、上るときに見落とした道標などを写真に撮りながら、40分ほどで下りきった。

河内神社
 石畳の宿から水車小屋の方に上がって来るときに、谷間の2つの川の間に広がった棚田の奥に石の鳥居と神社の森が見える。河内神社である。まだ参ったことがなかったので、行ってみることにした。
 下の水車小屋の辺りから見当を付けて、椎茸が栽培されている林を通り抜けてみたが行き止まりだった。少し石畳の宿の方へ下ると、ちょうど畑に出ておられたおばあさんに出会ったので、友人が道を尋ねた。川の飛び石を越えていく道と、谷の向側から車で途中まで行って参道に歩いていく道の2通りを、丁寧に教えていただいた。「昨年新しくしました。ぜひお詣りしてください」と言われる。
 私たちは、近道の飛び石の方ではなく、一旦、車に戻って谷の向側に廻った。おばあさんに教えてもらった道を、橋まで下って、護岸工事をしている人達にことわり、車を止めた。神社の森と、棚田の石積みが見惚れるほどに美しい。藪椿が群生した、棚田の端を迂回する、川沿いの道から神社の正面に上がった。石の鳥居をくぐり、古い石段を上がって、新しい上屋が建てられた拝殿に上がった。お餅やみかん、栗などこの地方の正月の神饌が古瓦の上に載せてある。賽した後に、脇に廻って見ると、屋根も、拝殿も出来る限り、元の材を活かした、丁寧な解体修理が行われていた。昨年の台風の被害を受けたのであろうが、この地域の人々の、つつましく、信心深い様子が伝わってくる修理のやり方である。石畳には、屋根付き橋のある弓削神社や、枝垂れ桜など、多くの人が繰り返し訪れたくなる場所がたくさんあるが、棚田の奥の河内神社の風景も私には忘れがたいものになった。来てよかった。
 牛の峰、河内神社と廻って、少し欲張りに過ぎる気もしたが、私たちは、十字架の大師像を拝するために、もとの道をもどって、満穂郵便局の前を右折して双海への峠道に向かった。

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1996-2012


2つの川に挟まれた棚田の奥に河内神社が見える。
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櫟林を通る牛の峰への道。あと13丁。

石畳、弓削神社の屋根付き橋

地元の人達が最初につくった石畳の水車。

牛の峰への登山道入口あたり。

清流に沿って林の中を登る。

道の歴史を感じさせる道標

木々に囲まれた道は登るに従って松の木が増えてくる。

頂上へあと1丁。1丁ずつの間隔で頂上への距離を示した石仏の道標がある。

牛の峰頂上のお堂。昔は祭礼の時に相撲が奉納されたそうだ。

双海町側の頂上の石仏。海を背にしている。海神に遠慮されているためという。

双海側の地蔵堂の屋根は石瓦で葺いてある。