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第17回 旧松丸街道 句碑と鰻どんぶり
 
 
 夏の北宇和郡松野町。滑床渓谷の森の国ホテルは予約がほとんど一杯だし、新しくできた虹の森公園の水族館「おさかな館」も子供たちで大賑わいだ。その喧噪を避け、古い町並みがひっそりと息づく旧松丸街道を歩き、広見川の天然うなぎを食べ、夭折の俳人芝不器男の美しい句碑を訪ねてみた。

 伊予美人と野武士
 虹の森公園にのびる道を右にそれ、松野町役場の方へ入る。少し行けば、地酒「伊予美人」で知られる正木本店の豪壮な酒蔵が見える。そこを右に折れて細い、坂道の突き当たりを左に曲がれば、旧松丸街道のハイライトである。かつて、坂本龍馬が土佐から宇和島の城下に来たときに通り、佐賀の乱で敗れた江藤新平が鬼が城を越えて土佐に落ちるときに通った道である。地酒「野武士」正木酒造のこれ又風格ある建物に圧倒されながら街道にそって歩くと、見事な持ち送りのある商家や、かつての医院の洋風建築など、落ち着いた、歴史を感じさせる佇まいの家並みが連なる。
 不器男の家
 少し歩けば、左手が夭折の俳人芝不器男の生家、現在の松野町立芝不器男記念館である。不器男の家は旧庄屋で、その建物を修復し直筆の俳句や、書、手紙、原稿などが展示されている。
 「白藤や揺りやみしかばうすみどり」など、人口に膾炙した佳句で知られる不器男は、松丸尋常小学校5年の頃から子規の句に親しんだ。宇和島中学の1年先輩には、富沢赤黄男がいたという。松山高校時代は、四国連山や日本アルプスを踏破するなど登山に夢中だった。大正12年東京帝国大学農学部に入学したが、夏休みの帰省中に関東大震災があり、東北帝国大学に転じた。その頃から本格的句作をはじめ、俳誌『天の川』や『ホトトギス』に投句を続けた。昭和5年、26歳で病没した不器男の残した句は、数こそ少ないが天賦の俳句的語法と繊細鋭敏な感性の存在を感じさせる、珠玉の作が多い。そして、それらの句のすべてが不器男を育んだ松丸の風土とわかちがたいものばかりである。
 人気のない座敷に上がり、ぼんやりと手入れの行き届いた庭を眺める。ここに来るといつも、松野町の人々の不器男に対する敬慕の念をしみじみと感じ、松山の巨大な子規記念博物館に、決して負けていないなと思う。2階には、子供たちが作った俳句が貼ってあった。奥のかまどがある土間で、受付のご婦人に冷たい麦茶を供してもらった。松野の水はほんとうにおいしいから、お茶もおいしい。そして酒も又おいしいのである。
 天然うなぎを食べる
 時計を見ればちょうど昼前である。松野の天然うなぎは、夏から秋10月にかけてが季節だ。私はつい、足早になって、旧道が尽きるあたり、前に大きな榎の木がそびえ立つ、鰻、川魚料理「末廣」ののれんをくぐった。おかみさんが炉のところで鰻をさいて、焼いているところだった。赤く熾きた炭火に、鰻が焼けるのを眺めながら少しお話を伺った。「昔はね。小石くぐりいうて、ちょっと小ぶりの鰻をみんな好いたんよ。身がしまって、しつこくないからね。私らが若い頃は、川に鰻がようけおったから、子供でも簡単にとれたんよ。だから、鰻どんぶりゆうたら皿鉢に山盛り鰻を焼いて、炊き立てのご飯をおひつに入れて、あとは番茶とたくあんを用意するだけ。ご飯の上に鰻をのせて番茶をぶっかけて食べるんよ。家族総出で、お腹が一杯になるまで、思いっきり食べたもんやった」
 今は専門の漁師さんでないとなかなか鰻をとるのはむつかしい。さらに、このところのお月夜で、鰻の水揚げが少なく、予約のお客に出すのがやっとだそうだ。しかし幸いにも、私はおかみさんの特段のご配慮で、鰻どんぶりにありつくことが出来たのであった。
 おいしかった。これは、出かける数日前に電話で予約してでも、味わっていただくしかない味である。
 アツアツのご飯の上にのせられた天然の鰻は、「小石くぐり」の大きさだ。皮がうすく、身が引き締まって、適度に油ものっている。たれは地酒をベースにした昔ながらの味。毎日毎日火を入れては作り足し、同じ味を守っている。その上、うれしいことに、「末廣」の鰻どんぶりは食べ進むと、ご飯の中にしずめられた鰻が再び顔を出してくる。満足して、店を出る私に、おかみさんが、松野西小学校の前にある、芝不器男の「あなたなる夜雨(よさめ)の葛のあなたかな」の句碑を見て行くことをすすめてくれた。
●天然うなぎのおいしいお店●
広見川の鰻は末廣(TEL.42-0483)の他に、松さか亭(TEL.42-0005)、きらく(TEL.42-0040)で食することができる。
電話で確認してからお出かけ下さい。


芝不器男の句碑
松野には13の不器男句碑がある。どれも不器男を大切にする町の人々の心がこもった素晴らしいものばかりで、『不器男の里俳句小径』という散策路がある。ゆっくり歩いて所用約1時間半。最後は松野温泉で汗を流そう。入浴料250円(月曜休み)。

松丸駅
「汽車見えてやがて失せたる
田打ちかな」
12月上旬にはJR予土線の宇和島から土佐大正をSLが1日1往復の予定。

松野西小学校校門前
「あなたなる 夜雨の葛のあなたかな」
仙台で、遥かな伊予のわが家を思って詠んだ代表句。

広見川にかかる大門橋の袂
「寒鴉己が影の上におりたちぬ」

松野温泉
「泳ぎ女の葛隠るまで羞ぢらひぬ」
「ふるさとや石垣歯朶に春の月」

俳句小径の問合せ先
松野町教育委員会
TEL0895-42-1111(内線510・511)

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1996-2012


旧松丸街道の町並み
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「野武士」の正木酒造

オープン以来大変な
賑わいを見せる
虹の森公園とおさかな館

「伊予美人」の正木本店・酒蔵。

河後森城跡下の民家

不器男記念館内部

広見川の見事な天然鰻。昨日の闇夜に、はさみ漁でとられた。

生きた天然の鰻をさいて焼く。

「末廣」の鰻どんぶり。
ご飯の中にもうなぎが隠れている。

大門橋の踏切近くにある「鰻魂碑」

おかみさん

火振り漁で採られた四万十の鮎

川蟹

礁崎(はいさき)地蔵尊。土佐街道と松丸街道が交差する辻に、松丸東部の守り地蔵として享保14年(1729)代官新城六之丞が寄進。仏師禅浄慶の作。左手に末廣の瓦屋根が見える。

松野西小学校の校門前にある不器男句碑から松丸の町並みを見る