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第44回 御祓紀行
「棚田の里の四国88ケ所」 
愛媛県喜多郡五十崎町 
 小田川の支流、御祓川の上流にある五十崎町の旧御祓(みそぎ)村には、美しい里山の自然につつまれた小さな四国88ヶ所が地元の人たちによって、今もたいせつに守られている。春のお大師さんの日に1度巡ったお四国さんを、11月下旬に再訪した。

 お大師まいりの道
 私は、今年の4月21日に、知人に誘われて初めて御祓のお大師まいりをした。御祓地区の人たちの質朴で温かい「お接待」や里山の美しい自然の中にひっそりと佇んでおられるお大師さまの姿に強くひきつけられた。
 里山を巡るお四国まいりの道は歩きやすい土の道がほとんどで、昔、集落と集落を結んていた道筋にそってつくられていたが、ところどころ草が茂ったり、道が車道にぶつかったりして迷いやすいところが何ヶ所かある。御祓の集会場の近くに地図のある案内看板があるが、1度歩いただけなのでどうも自信が持てなかった。春のお大師まいりの案内に立っていただいた御祓の季羽浅喜さんに相談したところ一緒に歩いていただけることになった。季羽さんは大正生まれで77歳。戦後1度途絶えた御祓のお大師まいりの復活に力をつくされた方で、年に2回、4月と8月に行われる「御祓のお大師まいり」のお世話をずっと続けられている。店を息子さんに任された今も山の棚田で無農薬栽培のお米を作っておられると聞いた。
 愛宕山へ
 11月20日、朝7時過ぎに朝霧につつまれた五十崎町只海(旧御祓村)の季羽雑貨店に着いた。車を降りると、季羽さんはもう家の前で身支度をして待っていてくださった。あいさつもそこここにさっそく歩き始める。
 店の前の常盤橋を渡り、集会場の前を過ぎて道路を渡る。先ず正面の山裾をほんの少しあがった1番霊山寺とほんの少し離れた場所にある2番極楽寺にまいる。1番の脇の草むらには明治初めに建てられた供養塔がある。供養塔は、四国88ヶ所まいりを無事に終えて里に帰りついた人が感謝の心をこめて建てたものと言う。一旦道路に戻り棚田の中を通る細い道を登る。上がりきったところで車道を渡って向かい側の細い道に入った。山にそって少し上がると21番太竜寺への入口がある。杉林の中に少し広くなった場所があり、ブロックで作られた小さな上屋の中に4体の石仏がおさめられていた。もとの道に戻って10メートルほど上がったところが登山口だ。71番弥谷寺が入口の左側にある。杉の林の中を登る道はすこし急に見えるが、こまかくジグザグが切ってある上に、やわらかい落葉を踏みしめながらの登りだから疲れることはない。82番根香寺がある頂上まで7ヶ所の札所に立ち寄りながらの快適な登りが続く。体が温まって少し汗が出てきた頃に登りついた。重松邑の人が寄進した立派な番外の石仏の裏側にまわり、足元が切れ落ちた崖の上に立つ。雲海が広がった上に神南山が笠のような形をして浮かんでいた。
 「今日は霧が少し騒いでおるから、晩には雨になるかもしれません」と季羽さんが言われた。よく晴れる日には、水平の線を引いた雲海の上に山々がくっきりと姿を見せるのだそうだ。たしかに、今日は霧が少しちぎれた綿のように乱れている。
 頂上の崖下にある札所を過ぎ、一旦車道に出てまた林の中の道に入った。しばらく行くと昭和40年頃まで、民家があったという場所に出た。杉林の中に崩れた石垣が残り、茶碗が切株の上にのせてあった。そこから3ヶ所の札所を経て、ゆるやかなアップダウンの道を10分ほど歩くと愛宕山のお堂に着いた。霧がすこしずつ晴れてだんだん気温が上がってきた。
 観音堂から庚申堂へ
 来た道を分岐まで戻り、薄暗い道を右に下っていくと椎茸やたばこを乾燥する土壁の倉がある農家に行きあたる。ここから畑の中の道を24番最御崎寺のある平石堂まで下り、そこから車道に降りた。少し登って石垣の美しい棚田の上の民家に続く細い道に上がる。声をかけて、路地菊がいっぱいに咲いた庭先を通り抜けさせてもらう。季羽さんにこの家の棚田の中にある「出」と呼ばれる湧き水を教えてもらった。石垣を組んだ入口の中に美しい水が湧いていて、沢蟹やハヤが泳いでいた。
 畑の中の道を谷の奥に向けて進む。朽ちかけた小さな木の橋をローブを掴んで過ぎると正面に沢が滝の様に落ちた場所に出た。左手の大きな岩が庇のように突出した下に25番から28番の札所がある。ひんやりして深山幽谷の雰囲気さえ感じさせる場所だが、お大師さまと一緒に近所の人が雨を避けて薪を置いたりしているのがほほえましい。
 浅い沢を渡って登ると、思わず通り過ぎてしまいそうな札所がある。このあたりに春はシャガの白い花が咲いていたのを思い出す。少し先で展望が開け、観音堂への登り道に出た。さきほど越えてきた民家が棚田のすぐ向うに見える。竹林の先に朽ちかけた観音堂があった。背後の杉の植林の中を斜めに登って、37番岩本寺に行く。崖の下に隠れるように置かれた石仏に木漏れ陽があたって、やわらかい表情が浮き上がって見えた。
 右に下っていくと洗濯物を干した民家に出た。犬がはげしく吠える。少し先、左手の家の石垣の前に登る道がある。茅が茂っていて入口が少しわかりにくいが、思い切って踏み込めばはっきりとした道がついている。
 晴れ渡った空の下に神南山や少し薄くなった雲海を見ながら登ると40番御荘の観自在寺などの3ヶ所があった。竹で作った花立てが置いてある。そこから背後にまわりこむように上り、捨てられた自動車や家々の守り神が置かれた祠のある竹林を抜けて車道に出た。
 右に下ると、左手上の岩の根に42番仏木寺。さらに下り道路左側の杉林のお墓の中の道に入る。しばらく登っていくと人が2人並んで歩けるほどの少し幅の広い道に突き当たる。これが維新の昔、坂本龍馬が河辺村から、泉ケ峠、耳取峠、さらに石上峠と越えてきた脱藩の道であるという。その脱藩の道に出たところに43番と44番。右に少し下がった左手の石垣の上に45番から48番の札所がある。ここには麓の新田の人たちが寄進した立派なお大師さんの石像もあった。
 龍馬の道に戻ると、道の真ん中に、平たい大きな石がある。季羽さんが「ここで龍馬が腰掛けて休んだという話もあります」と笑いながら言われる。龍馬の通った道を下り車道に出たところに49番浄土寺がある。そこから車道を渡って正面の柿畑の中の道を進むと庚申堂、41番龍光寺と50番繁多寺がある。庚申堂のすぐ下が新田の集会場で春にはお赤飯のおにぎりやお茶をごちそうになった。
 新田(にいだ)から常久寺
 新田の集落の中に51番石手寺。柿畑の脇に太山寺など愛媛の札所がある。ここから柿畑の先の道を下ると59番国分寺の先でまた車道に出る。向側のカーブミラーと警笛の標識の間を入ると杉林の中に下る道がある。下りきると、右の奥に61番、62番、60番。ここからまた車道に出る。数百メートルほど車道を下って杉の木の脇から横道に入る。しばらく杉林の中のなだらかな道を行くと63番から65番までがある地寄堂につく。
 地寄堂から少し下ると、朝通って来た県道に出る。ここからはほぼ平坦な道である。数百メートル先を右に入った紅葉ヶ滝も登りというほどの登りではない。
 県道の脇や民家の背後の札所をまわりながら、88番大窪寺と75番善通寺がある常久寺の境内に着いたのは10時半過ぎ。朝から約3時間半歩いたことになる。本堂の前の、美しく黄葉した銀杏の大木の右手奥にある札所に参ってから季羽雑貨店に戻り、季羽さんと別れた。あとは春に数珠送りをさせてもらい、おいしい豆腐の田楽やお赤飯を「お接待」していただいた海蔵寺、成内や川上の大師堂などで、道に迷う心配はない。
 季羽さんのおかげでなんとか御祓のお大師さんの道を1人で歩く自信がついた。私は翌日、ちょうどお大師さんの日であった日曜日に、友人と2人でもう1度、御祓のお四国さんを歩いた。何度歩いても素晴らしい道であった。

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1996-2012


第1番霊山寺
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龍馬脱藩の道の脇、45番から48番までの札所がある。

ジグザクに登る道のかたわらに札所が点在する。第85番八栗寺。

第84番屋島寺
左手前に明治14年4月21日、河野可平さんという人が建てた供養塔がある。

69番観音寺

4月の「御祓お大師まいり」の最後に数珠送りがある真言宗の海蔵寺には83、30、31、32番がある。

1番と2番にまいったら、右の棚田の中の道を登る。

木漏れ陽の道。



おいしい水が湧き出る出(いで)



25番から28番は、張り出した岩の庇の下にあった。

38番、39番、40番。
40番は愛媛の観自在寺


庚申堂の麓の新田の集落で。左は大田さん。

紅葉ヶ滝

紅葉ヶ滝の入口にある66番

88番大窪寺と75番善通寺は常久寺の境内にあった。