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惣川の彫刻家宮岡洋一さんの家
第129回 惣川紀行
 
 愛媛県西予市野村町惣川
 旧野村町惣川の旧庄屋屋敷土居家主屋屋根の茅が葺き替えられて10年目を迎える。かつて雪の降り積んだ冬に土居家に一緒に出かけたオランダ人の彫刻家ケース・オウエンスと惣川を再訪し、ケースの友人の彫刻家のアトリエを訪ねた。

 (それぞれの写真をクリックすると大きくなります)
茅葺き復活の頃
 西予市野村町惣川天神に日本有数の大きさを誇る茅葺き民家「土居邸」が建っている。文政10年(1827)年の建築といわれ、主屋は茅葺き入母屋造りで、桁行12間(約24メートル)、梁間(約11メートル)、高さは約9メートル(犬伏武彦著『民家ロマンチック街道-伊予路』による)。
 今から約10年前の1997年の年の暮れ、茅の葺き替えが終わったことを記念して、惣川自治振興会、旧野村町などの主催で、惣川『故郷への想い』展が開かれた。長く、土居家の修復と保存にかかわってこられた犬伏武彦現東雲短期大学教授による土居家の歴史と建築についての説明会、古民家修復保存の専門家、大河直躬千葉大学名誉教授らによる「歴史的遺産の保存・活用とまちづくり」についての講演、「田舎の味」バザー、川柳大会など様々な催しが開催された。当時、惣川には、土居家の他に、茅葺き民家が20軒以上あった。全てが住居として使われているわけではなかったが、茅葺き民家が並んで建っている風景を見ることができた。

- 天神風景 -

 茅の1束ボランティアなど地元の知恵と熱意を結集した土居家の修復は翌1998年3月末に完成し、4月に宿泊と交流の施設としてオーブンした。土居家の離屋は宿泊施設になり、後には蔵も修復されて軽食堂がつくられ、離れ家には茶室も建てられた。復元再生は内子の八日市の町並みでの民家再生や、大瀬の大江邸、石畳地区の「石畳の宿」、保内町の稲見米穀店などの実績を持つ建築家永見進夫氏が手がけた。土居家修復の完成にあわせて天神には茅葺きの新しい茶堂も建てられ、、山の静かな集落は茅葺き復活に湧いたのであった。

- 西予市野村町惣川 -

- 西予市野村町惣川平野の民家 -

棟ヶ峠から

- 棟ヶ峠の茶堂 -
 2月の中頃、午前9時に西予市宇和町伊延のケースのアトリエで落ち合い、肱川町から山の尾根を通る道から棟ヶ峠を越える。茶堂のある場所には昔14軒ほどの集落があったという。しばらく林の中を出たり入ったりして走り、天神の集落を見下ろす展望台のところに出た。さすがに気温は6度くらいであるが快晴で寒さは感じない。大野が原の山の上に少しだけ雪が見える。以前にケースと来た時は大野が原に上った。雪の多い年で、積雪した道でスリップもした。泊まった惣川も冷え込んでいて、土居家浴室脱衣場のすさまじい寒さはいまだによく記憶している。
 展望台から一気に坂を下る。途中の茅葺きが少し姿を消している気がしたが気のせいかも知れない。10年前は白木だった新しい茶堂がすっかり貫録を加えて古いほうの茶堂と遜色がない。天神のため池の先を右に入り土居家の駐車場に車を止めた。
 相変わらず堂々とした姿である。主屋の土間に入り、大黒柱や梁の写真を撮った。軒先に腰を下ろして日なたぼっこをしていたら野良猫が近づいてきた。


- 10年前に建てられた茶堂 -

- 土居家主家の梁 -

- 土居家の離れ -

宮岡さんの家

- 宮岡家の入口 -
 土居家から、ケースの友人の彫刻家である宮岡洋一さんの家に向かう。宮岡さんの実家は天神の集落の中心部にある雑貨屋さんで板張りの郵便局舎のすぐ近くにある元の農協の建物であるが、宮岡さんは少し下った場所にある茶堂のそばの茅葺きの民家に住んでいる。
 土居家から2、3分で着いた。土間に入ると子供の遊具や自転車が置いてあり、パンやピザを焼くのに使う自家製オーブンが設えられていた。大きな庄屋屋敷とは異なり、こじんまりした温かい雰囲気が漂っている空間だ。
 宮岡さんと奥さんと子供さんが待って居てくれた。宮岡さんの奥さんは、予約制で自宅の茅葺きの居間で食事を食べさせてくれる。今日は、ケースと2人で昼ご飯をお願いしていたのである。メニューはおまかせだが、希望すればいろいろ応えてくれる。(ごちそうノート参照)。味付けも素材も皆自然でやさしい。私は、生きる力が養われるような感じを持った。「自然食」に強い抵抗をおぼえる私が玄米おにぎりのおいしさに感動した。
 食事をしながら宮岡さんと話したが、茅葺きの維持はなかなかたいへんのようだ。物置として使うのでなく、実際にトタンをかけずに茅葺きのままの民家に暮しているのは惣川ではもう、宮岡さんの家くらいだと言う。茅のメンテナンスも費用がかかるし、思うに任せないそうだ。先ず屋根の半分を直し、残りの半分をいまどうしようかと思案中だという。
 京都の美川村のように、茅葺きを活かした町づくりが軌道に乗っているところもある。
 しかし、よその先進事例を上げるだけでは何も動かない。茅葺きのシンボルの土居家だけに特化するのではなく集落全体で茅葺きを活用できるために、なにができたのだろうかと、思う。過疎、少子高齢化の中で、茅葺きを非日常の場所とするのではなく、どうやって日常の場所として再生するかという問題を回避したまま象徴に祭り上げてしまうのはさびしい。理屈ではなく、惣川と茅葺きが大好きだから、自分で家族と故郷の茅葺きにくらしながら、彫刻を制作して、できることをやり抜いている宮岡さんの生き方はすばらしい。


- 宮岡さんの家族とケース -

- 宮岡さんの住まいとアトリエの入口 -

平野に上がる

- 天神の展望台から見た平野 -
 食事をいただいた後、天神の向い側の山の中腹にある平野に上がってみることにした。
 一旦船戸川沿いの道まで下り、橋を渡って細い99折れの道を上った。途中の瀧を過ぎて5分ほども上れば集落の最上部に出た。谷を隔てて天神が見える。先程、天神の側から見た時は、山の中に張り付いているように見えたが、実際に上がってみると田畑が開けた別天地のようなところだった。
 私たちは、また、来た道を谷に下り、再び天神に上がって尾根道を肱川に向かった。
 かつて、惣川の中心地は藩政時代から変ることなく庄屋屋敷のある天神であった。しかし、川沿いに県道が開かれた後は、役場が移転した三島に中心が移った。町や村は時代の変遷とともに自然の風景さえ一変させてしまうほどに変貌する。山の集落がいつか限界集落となって、やがて消えて行くことは避けられぬかもしれない。だからこそ、宮岡さんのように肩を張らずに故郷の山村に根を張って暮している人がいることを大切なことに思う。
 人として生きるならば、どこかに変らぬもの、過去の暮らしや文化を記憶し生きた姿で伝えるものがなくてはならないと思うのは愚かなことであろうか。今だけの算術のみで過去を切り捨てて行くのは歴史を否定することのように思える。経済や政治の興亡は常在のことで驚くにはあたらない。宮岡さんの茅葺き屋根にさす茅1束の方が重く切実であると思う。

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